2011年3月10日木曜日

職場が変わって (トラウマ)

 このP.S.さんの所で働き始めて直ぐ、私は新しい鋏を一丁購入しました。 研ぎだけではなく、柄の曲がり具合や「からくり(2つの刃の支点のピン)」等を何度も自分で調節したので、例え同じメーカーの同じ大きさの金切鋏と並べ、 目をつぶり触ってもどれが自分のものかと百発百中で当てられるほど手に馴染んでいました。 手入れのタイミングや、使用時の力の入れ具合まで、まるで鋏が語りかけてくるようで、自分の身体の一部と言っても過言ではありませんでした。

 Y.U.さんの会社に移って最初の現場で、板金が数枚重なっている部分を力を入れて切った際、片方の刃が真っ二つに折れてしまいました。 買えば7~8千円のものでしたが、強いショックでその日は眠れませんでした。 この後、私は様々なメーカー金切鋏を数多く購入しましたが、これほど手に馴染んだ金切鋏を手にすることはありませんでした。 約1年後だったと思いますが、どうしても諦めが付かなかったので、この鋏の製作メーカーに頼み込み、新品と同じ額の修理代を払うからと修理に出したことが あります。 ですが、さすがに刃が割れては修理のしようもなく、2つの刃のうち割れた方を新品と交換し、からくりや「刃の擦り合わせ部」を丹念に調整してくれました。 製作メーカーは、
 「今時、これほど道具を大切にしてくれる職人が未だ居たんだね。」
 と、半分は新しい部品に交換し、新品よりも手間をかけて調整したにも拘わらず、修理代は「特別に」無料にしてくれました。 確かに切れ味自体は新品同様だったのですが、何処が悪いのか、今一歩手に馴染みませんでした。 暇を見ては以前のように調整もしましたが、折角治して貰ったのに、その鋏はあまり使いせんでした。 私にとっては「職場」が変わった事を象徴する出来事でした。

 職場が変わった事でプライベートでの人付合いは殆どなくなりました。 夜9時頃までの残業が当たり前だったからです。 バブルが弾け、建築産業が斜陽産業へと落ちぶれてゆく最中だったとはいえ、未曾有の好景気中に受注した仕事が未だかなり残っていました。 一部の業者はバブル期と何ら変わりなく仕事を行っており、私もその一部に属していました。 平日に片付けられなかった残工事や優良顧客へのサービス工事などをこなす為に、日曜日も休みはありませんでした。 自分で望んだ状況ですし、手間が倍になっても、労働時間が倍になった訳ではありませんから不満はありませんでしたが、たまに寂しく感じる事がありました。 その殆どは、K.K.さんやK.O.ちゃんの事を思い出したときです。
 振り返れば、私はK.K.さんの「アッシー君」状態でした。 K.K.さんには彼氏がおり、その彼氏の事が片時も頭から離れないほど「ぞっこん」だったのです。 それを百も承知で逢いたかったのですし、 K.K.さんが彼氏に逢えない寂しさを紛らわすかのように電話をかけてくると、私も嬉しくてどんなに疲れていても車を飛ばして逢いに行きました。
 それ以前に、K.K.さんをオナペットに使うと、悩みの種であるインポテンツだったペニスが嘘のように勃起し、お陰で症状がかなり改善できたのですから、それ はそれで良かったのだと思います。 ですが、1つ良くなれば「次」の欲が出てくるものです。 例え好きな女性が出来ても、K.O.ちゃんの時のように何も出来ない自分を情けなく感じましたし、28歳にもなって彼女のいない事を寂しく感じるようになりまし た。 周りの友人も彼女と結婚し、落ち着く者が徐々に増えてきたので余計です。 そして、それを紛らわすかのように寝ている以外の殆どの時間を、仕事に打ち込みました。 それは多分、私の内面の「ギャップ」を大きく開いてしまった最も大きな原因だったろうと思います。


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