2011年3月27日日曜日

在家信者 1 (タイの日常生活)

友人であり、私のタイ語の先生でもあるM.T.さんは、タイの有名大学の日本語学科を首席で卒業しまし、日本人に近い考え方をするタイ人です。


以前、彼女のお義母さん、つまり旦那の母親の話を聞いた事があります。

お義母さんは嫁いでから、用事があって家に居なかった時を除き、毎朝必ず、近所のお寺に行き、御堂掃除をして飾っているそうです。


それも夜明けと共に、誰より早くお寺に行き、特に御堂丹念掃除しているそうです。

明け方から説法の時間までは何時間もありますが、その間ずっと掃除をしながらお坊さんの説法待っている訳です。


お義母さんの指定席は中央にある大きな柱の直ぐ隣です。


この席座りたいからこそ、朝一番でお寺にやって来て、御堂綺麗しているお気に入りの席なのだそうです。

ですがM.T.さんは最初不思議に思ったそうです。


毎日必ず夜明けと共に家を出て、お寺を掃除するほど熱心な信者が、何故お坊さんに近い前の方に座らないのかと。


でも、お姑さんなので遠慮して何も尋ねず、一緒に説法待っていたそうです。


そして、お坊さんが説法を始めると、その理由が直ぐに分かったそうです。


お義母さんはその寄り掛かりグーグー寝入ってしまったのだそうです。


 掃除で疲れているのでしょう、説法の間眼を覚まさなかったそうです。


 別にこの日に限らず朝日が昇るとお寺に来て、掃除をして花を飾り、説法の時間になると、この柱にもたれ、説法が終わるまで寝ているのだそうです。

「お義母さん、一体何の為にお寺に来ているのかしら・・・

M.T.さんはすごく疑問に思ったそうです。


私もその話を聞いて同じ事を考えました。 

「それならお寺に行かなくていいじゃないか」

と思いました。


 「柱にもたれて居眠りする為に早起きする」という行為が本末転倒に映りました。

でも他の友人にこの話をしたら笑いながら、

「きっとそのお義母さんは、毎朝、説法を聞きに来る人達の為に、毎日お寺を綺麗にしているんですよ。」


「柱の影で休んでいるのは、説法を聞く人達邪魔にならないようにだと思います。」

と答えてくれました。

物事はちょっと角度を変えるだけで、全く異なって見えるんだなと、「ものの見方」教えられた気がしました。


同時に、人にはそれぞれ「役割」あるんだなと感じました。

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