2011年3月9日水曜日

爪甲剥離症 (トラウマ)

  私の右手親指の爪は「爪甲剥離症」にかかっており、爪が薄くて脆く、指先に密着していません。 爪と指先の間が何層にも別れ、風呂上がりに針等でほじると僅かずつですがぽろぽろと崩れてゆきますし、密着せずに剥がれている部分は白く見えます。

 建築板金の基本的な道具に「折台」と呼ばれるものがあります。 ただの直線の当金ですが、1つの角が鋭角になっており、木材を抉って取付けます。 この角に板金を当て、「拍子木」で叩いて曲げ加工を行います。 板金を直角に曲げる為には、当金は図のように鋭角である必要があります。 長さは短いものでは約50㎝から、長い物で約2mあります。 拍子木を持って当金に乗せた板金を叩く衝撃からでしょうか、この仕事を始めてから、右親指の爪がどんどん剥がれ始めこの頃、右親指の爪は半分以上剥がれていました。
  痛みこそありませんが、爪が剥がれてくるに従って、右親指の先端部の感覚が徐々に鈍ってきたので、何とか治したくてトレーニングに通っていましたが、この爪甲剥離症は殆ど改善されませんでした。

  この何層にも剥離した爪の中にゴミが入り込んでしまえば、爪が伸びきるまでの1〜2ヶ月間、その汚れは取れません。 この仕事を始めて直ぐから自分でも気になってはいましたが、K.A.先生が勧めて下さった女性に言われた事で、爪の事がとても気になるようになり、人前で手を晒す事が恥ずかしくなりました。 その女性は数ヶ月間のトレーニングを終了し、その後会う事もありませんでした。 今思えば、言われた通りもう少し身だしなみにも気を付けるべきでしたが、この当時の私は「そんな事」は仕事に差し障るだけなのでかまけていられないと考えていました。

  シンガポールへ出張に行く少し前に、私は親方の奥さんにはあと数ヶ月働いたら暇を貰いたいと話をしていました。 爪が剥がれて指先が「痛む」ので、手加工の少ない「野丁場」の仕事に移りたいと言い訳をしました。 幾ら何でも、「やる気のない親方の倅とはこれ以上一緒に出来ません。」とは言えませんし。 奥さんは最初、ちょっと驚いた顔をしていましたが、
「そうよ、未だ若いんだから、色々な仕事を覚えた方がいいわよ。 いつまでも、うちの父ちゃんとやってちゃ駄目よ。 これじゃ仕事じゃなくて『道楽』だもの。」
と言って、くれたので、決心が付いたのです。 2年半、本当に色々な面で面倒見て戴き、最後には気持ちよく送り出そうとしてくれたことには本当に感謝しました。

  何故爪甲剥離症になったのか、 その原因は分かりません。 私は小学生の頃罹患したリウマチ熱を治療するために副腎皮質ステロイド投与を行いました。 もしかしたら、それが原因なのかも知れません。 医師に尋ねれば、「それが原因ではない」と答えますが、薬理学の専門家の中には、薬の副作用が服用中に現れるものに関してはその薬が原因だと特定できますが、器官や臓器に影響を与え、それが原因で起きる「間接的」な副作用については、その薬が原因だと特定することは難しく、その他の多くの要因が絡むので事実上「特定不可能」だと聞いた事があります。

  親方に「暇を取らせて下さい」と伝えたのは北海道の仕事を終えた後ですから、奥さんに伝えてから2〜3ヶ月後の事です。 その後、親方は一人で酒を飲みながら、
  「治療しながらでも、この仕事を続ける方法はあるはずなのに・・・」
  「辞めなくてもいいだろうに・・・」
  といつまでもぼやいていたそうです。 そういったとき、余計なことを言えば怒るのは目に見えていますから黙っていても、お客さんや親戚が来た際、それとなく味方をしてくれたことは想像に難くありません。 気難しい人と2年半出来たのは、この奥さんの力添えがあればこそでした。


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