中学の時に兄弟で差別をされた事は聞いていましたから彼女の話を聞いていると、苦労というものを知らずに何も考えずに「のほほん」と育って来た自分はとても小さな「子供」に感じ、「苦労」を乗り越えてながらもそんな振りすら見せないS.S.がとても「大人」に見え、とても手の届かない存在に感じていました。 自分がもっと成長しないと、とてもS.S.と釣り合わない、そんな思いが常にあり、彼女を大人にした「苦労」というものに意味もなく憧れていました。 親が子供には自分と同じ苦労をさせまいと必死になって育てているのに、「苦労知らずに育ってしまったので精神的に成長ができない」からと、「苦労」に憧れるなんて皮肉なもの、というよりただの馬鹿だったと思います。 ですが、何かのきっかけでS.S.の苦労話を聞かされると、黙って聞く以外何もできない自分がもどかしくて仕方なかったのです。 何か気の利いた慰めの言葉とか、そんな苦労話をさりげなく笑い話なりこれからの糧に変えられるような機知すら持たない自分が、情けないやら、苛ただしいやらで、彼女の家を出て自宅に向かう道程はずっと自分の不甲斐なさを責めていました。
S.S.は高校を1年で中退し、知人のお店を手伝い始めました。 飲み屋だったので、どうしても時間が合わなくなり、会う機会は以前に比べかなり少なくなってしまいました。 16、17歳ですからいくら二日酔いしていても、仕事が始まる時間までに体調はある程度回復していましたが、話を聞いているとかなり無茶な生活を送っていて、医者からもかなり厳しく注意されていたようです。 私には、何故その知人のためにそこまで身を犠牲にしなければならないのか、さっぱり理解ができませんでした。 ですが、何かのきっかけで彼女のやることを深く追求すると、必ずと言っていいほど、彼女が最も辛かった時期、家族から与えて貰えなかった「愛情」を家族以上に与えてくれた人達で、ある意味「お礼」のようなものでした。 そう言った「人間関係のしがらみ」を見せつけられると、彼女は中学時代よりも更に「大人」になり、私との差は一方的に開いていくような気がして何も言えませんでした。
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