2010年11月21日日曜日

卒業 (トラウマ)

この頃テレビでは武田鉄矢の「金八先生シリーズ」の第1回目が放映されていた時です。 土曜日の話題は「金八先生」一色になり、みんな「理想の教育」とか「学校のあるべき姿」を口にしていましたし、年齢も多感な時期です。 私の発言は友人達から強い怒りを買い、皆の態度が急によそよそしくなりました。 私は「当たり前のことを言っただけなのに、現実を受け入れられないなら、ほとぼりが冷めるまで暫く離れていよう。」と距離を置くと、
「あの野郎、俺たちを無視して1人で受験勉強していやがる。 友達を蹴落としてでもいい学校に行きたい奴だからな。」
と陰口を叩かれました。 友人の1人が心配して、
「出来る限り一緒にいた方がいいよ。」
と言ってくれたのでなるべく一緒にいるようにしたが、嫌われながらそのグループのメンバーと一緒にいるという事はかなりのプレッシャーです。 中間試験を受け損ない、退院して間もなく、私は受験のプレッシャーで胃炎を起こし、医者から消化のよい物だけを採るようにと言われていました。 期末試験は不利を挽回する為のプレッシャーとの戦いでした。 テストの結果はかなり良かったのですが、胃炎はかなり悪化していました。 そこへ駄目押しのように、いつも一緒に行動していた友人達との仲違いが起こり、消炎剤を飲んでも常に胃酸がこみ上げてくる状態が続きました。
その間に何度か友人達と腹を割って話したつもりです。 「誤解だ。 話せば分かる。」と思ったからです。 ですが、話し合う機会を得れば得るほど、関係は悪化してゆきました。 後になって分かってきた事ですけれど、この言葉を訴える人は、例え話し合う機会を得たとしも、本当にその誤解を解き、分かり合えたケースなんて殆どないのです。 この言葉は人間関係を築く事が下手な者の「失敗宣言」なのかもしれません。
高校受験も終わり、卒業の準備をする頃になっても、友人達の態度は変わりませんでした。 登校が苦痛になり、神経性胃炎の通院日は午後を指定して、早退するようになりました。 放課後、友人達と顔を合わせたくなかったのです。 こんなこじれ方をした中学高校時代の人間関係は修復が難しいものです。 中学校時代の親友達とは卒業を境に、全くと言っていい程連絡がなくなりました。

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