退院当初は副睾丸炎が残っており、腫れも完全には引いていないので怖くて触れませんでしたが、右側の見かけの大きさは半分以下になってしまい、左右の玉は位置も大きさ「ちんば」もになってました。 炎症も治まった頃、恐る恐る触ってみると、陰嚢の中に「臓器の残骸」らしきものが残っていましたが、まるで「いかわた」のように軟らかくてはっきりした形はありません。 形を失ったものが陰嚢の中に残っているので大きさが小さくなって見えますが、もう「玉」ではないのです。 既に「臓器」としての形も機能も失っているはずですが、神経までは死んでいないようです。 生きている神経がむき出しになっているのでしょうか、そっと触れても場所や角度によって強い痛みを感じます。 座っているときに脚を組み替えたり、自転車を漕いでいるときに、右の睾丸の位置がちょっと動いただけでも場合によっては激痛が走るようになり、痛みを避ける為には日常生活の中で常に、右の睾丸を意識しなければならなくなったのです。
自宅療養も終わり、再登校の初日、これまでになかったほどクラスメートの視線を意識しました。 皆、私がお多福風邪が悪化して「金玉」が腫れたので入院したと知っているのです。 丁度思春期の、最も「性」を意識する年代にとって、「片金」になってしまった事は表現のしようがないほどショックな出来事ですが、自分でも思ったほどに「落ち込み」はしませんでした。 この時は未だ「実感」がなかったからだと思います。 「実感」が湧いてきたのは、後ろの席の女の子が、
「大丈夫なの?」
と声をかけて来たので、
「もう大丈夫だよ。 大丈夫だから退院してきたんだから。」よ答えると、
「え、でも~」
そう口にした後、「あ、いけない!」という顔をして会話をはぐらかしてそっぽを向き、席を立ってから他の女の子とひそひそ話を始めた時です。
「やっぱり、みんな、そういう風に思っているんだよな。」
そう思うと胸に突き刺されたような痛みが走り、やりきれない思いで一杯になりました。
この頃、よそのクラスに私が片思いだったS.S.さんがいました。 結構気が合っていて、会話はいつも弾んでいました。 いつもだったら私が暫く登校して来なかったのですから、一目散にやって来て暫く話し込むところなのでしょうけれど、その子も最初に何て声をかけていいか分からなかったんでしょう。 目が合うと、
「あ、出てきたんだ、今ちょっと手を離せないから、後でゆっくり話しようね。」
と言って、向こうに行ってしまいました。 その翌日も翌々日も、まるで避けられているかのように顔を合わせることはなく、普通に話しをしたのは1週間近く経ってからでした。 この2つの出来事は、いつまでも頭の片隅に残り、女性と話をする時にはいつも浮かんでくるようになり、次第に女性との会話が苦手になってゆきました。
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