2010年11月22日月曜日

高校生活 (トラウマ)

友人との人間関係が壊れてしまった私にとって、中学の思い出は暗いものとなってしまったので、高校では同じ徹を踏まないように努力しました。 離れていった「親友」達以上の関係を築きたくて、必死で自分をアピールしました。 ですが、中学校時代のように「何でも腹を割って話し合える」関係は、まるで「青春ドラマ」のようで「重苦しい」「うっとおしい」と感じる者が多かったように思います。 できることなら余り深く考えたりせずに、楽しくやりたい、そう考える同級生を私は「薄っぺらく」感じる事が多かったですし、逆に友人からは「うっとおしい奴」くらいに思われていた事でしょう。 いくら友達ができても心の中では中学時代の友人以上の関係を望む事は「無い物ねだり」であり、人が離れてゆくだけだと気付き始め、次第に現実からしかものを考えなくなりました。 「~であるべきだ」「~ならいいのに」といった発想を可能な限り排除して、「今は~だから、選択肢は~と~しかない。」と選択可能なものしか視野に入れず、その選択肢の中で最良のものを選び取ることだけに専念しました。 新しい選択肢を探し出し選び出すには、広く深い知識が必要だからと、新聞や本を読みました。  逆に、「役に立たない」「必要ない」と思ったことは一切やりませんでした。  社会構造そのものが情報化してゆき、「学歴社会」が急速に崩壊してゆくという未来予測に触発され、それに関係する書物を読み始めれば、学校の勉強などは近い将来全く役に立たなくなるからと、学期末テストがあろうと全く勉強しませんでした。 でも、そんな情報を発信している人達の学歴とか情報源まで調べると、逆に高学歴な人達のネットワークに属している事が分かり、そういったグループに入り込めなければ良質の情報は得られないはずだと方向修正をして、今度は突然狂ったように受験勉強を始めました。 挙げ句の果てには自分の学力では結局ろくな大学に入れやしないからもっと別な道を探した方がいいだろうと、大学の通信講座を受けながら就職する道を選んだりしました。
又、「片金」となってしまった事も関係して、自分の身体の弱さも「コンプレックス」となっていました。 自分を「男らしく」したくて、極真空手にも通いました。 ですが、当時「ウォーミングアップ」は知っていても、「クールダウン」を知らず、冬になっても稽古が終わるとさっさと帰路についてしまっていた為でしょうか、膝を痛めてしまい、一時は歩く事さえ辛くなり、整形外科や鍼灸・マッサージにも通いましたが、毎年冬になると膝が痛むようになってしまいました。
その時その時で、自分なりに精一杯考えて進むべき道を選んだつもりでしたが、狭い視野でしか物事を見つめられず、中途半端に得た知識に振り回されてしまった3年間でした。 言っていることもやっていることも頻繁に代わり、しかも口先ばかり偉そうなことを言う私は周りとの溝を作ってしまい、高校卒業時には仲の良い友人も数人しかおらず、卒業と同時に疎遠になってしまいました。 結局私は、中学校と同じ徹を踏んでしまった訳です。

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