2011年2月16日水曜日

国際交流 (トラウマ)

きっかけは忘れてしまいましたが、突然みんなで置屋に行こうという話になりました。 予め料金を知っていたと言う事は、誰かから詳しい情報を得ていたはずですが、その辺も良く覚えていません。 タクシーに乗って、薄暗い道を結構走りました。 到着すると、そこには「熱海」と書かれた提灯がぶら下がっていました。 名前からしていかがわしいお店です。 中に入ると片言の日本語を使ういかにもうさん臭い、中国人らしき男が案内してくれましたが、女の子は2人しかいませんでした。 この中国人らしい男は、
「大丈夫よ、ちょっと待てば次、できるよ。」
と説得してくるのですが、皆、その「次」は嫌なのです。 今、隣に座っている仲間の直後なのですから。 こんな事を気にするのは日本人だけなのでしょうか? それともこの中国人らしい男が気にしないだけなのか? それとも分かっているけれど商売だから言っているのか? 私には分かりません。 ですが、日本での食事とニュートンサーカスでの食事の差には明らかな「割安感」がありますが、日本の風俗店とこのお店の間にはそれほど「差」を感じません。 ガラス越しなり写真なりで選べるならまだしも、何が出てくるかは部屋に入るまで分からない 「玉手箱」 か 「福袋」 みたいなものです。 最悪の場合は「びっくり箱」なのですから、 気が乗らなければ止めて置くに超した事はありません。 どうしようかと迷っていた人達はこの時点で 「俺はいいや」 と尻込みしてしまいました。 ですが、私は 「はやる気持ち」 を抑える事ができませんでした。 この時期、絵画や読書などに意識が向いていて、あまり女性の事を考えていなかったとはいえ、ふと、気持ちが緩んだ瞬間、いきなり勃起してしまい、慌てて処理をすることは珍しくありませんでした。 下半身に一端火が付いたが最後、処理し終わるまでは他の事には全く集中できなくなり、もしそのまま放っておけば、苛々して人や物に当たるし、言葉尻も気も荒くなって自分を制御できなくなってしまいます。 そしてこの日、置屋に行こうという話が出るなり、頭の中はピンク一色に染まっており、そのテンションが下がらなかったのですから仕方ありません。 私の他に、親方の倅もうずうずしていました。 2名枠に入れたので、私は喜び勇んで女の子が待つ部屋に入りました。 部屋に入るとその喜びは更に高まりました。 顔はまあまあでしたし、プロポーションがとても引き締まってそそるものがあったのです。 日本のトルコ風呂のように時間制ではなく、射精と共に「終了」となる「ちょいの間」ですから、直ぐにサービスが始まりました。
テンションが上がっているときに、いきなり舐め、咥えられたので、スタートから興奮の頂点に達していました。 下になって「して貰う」だけでは我慢できなくなり、彼女に抱きつくと上下を入れ替え、胸にしゃぶり付き、手で下半身をまさぐりました。 もう片方の手で胸を揉み、頭を次第に下げてゆき、へそ、そして股間へと移り、クンニリングを始めました。 それ以後の事は、これまで経験した事がないほど激しい興奮だったのでよく覚えていません。 終わったときにはぐったりして動けなくなり、「重い」と女の子にどかされたのですが身体を横にずらすのが精一杯だったほど疲れ切っていました。


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