2011年2月14日月曜日

シンガポールでの食事 (トラウマ)

親方の倅と一緒に仕事をしたくないと思い始めた頃、シンガポールへ出張することになりました。 以前から話に出ていた日本人学校の天文台の仕事ですが、2転3転してやっと決まった話です。 かなり前から材料の加工し、厳重に梱包を施し、前もって輸送しておきました。
現地に到着すると、骨組みを製作していた鉄骨屋が肩を落とし、目を真っ赤にしてうなだれていました。 予算や他の仕事の関係から一人で来て、現地の溶接工を使って製作する事になっていたのですが、言葉が通じず、タイミングが全く合わないので、何度も目を開けている時に溶接されてしまい、スパークをまともに見て目を焼いてしまったのです。 いつも仕事をしている職人となら、保護眼鏡など使用せずとも何の問題も無くできる作業だったので、こういった事態を全く予測していなかったようです。 「もう嫌だ、早く帰りたい。」 と愚痴っています。 食べ物も日本食以外は絶対に口にしません。 東南アジアで食べている 「ぶっかけご飯」 の類は見慣れておらず、一体何が入っているのかさっぱり解らないので恐ろしく感じていたみたいです。 おまけに 「香辛料」 の類が大の苦手という人ですから、「見るのも嗅ぐのも嫌」 という状態でした。 親方や天文台製作会社の人達も、デパートにある日本食屋から出前を取っていました。 私と親方の倅だけは、現地の職人が食べている食堂に入り、何だかよく分からないものを見かけで推測して、適当に注文しながら食べていました。 何だか分からなくとも、現地の人間は皆食べているものですから、食べられない物である訳がありません。 むしろ一口でも食べてみれば、結構 「いける」 物が多かったです。 食べ物は現地の風土や気候に合わせ、長期間の試行錯誤から作り出されたものであり、現地に馴染む第一条件は食べ物に馴染み、身体を現地の気候に馴染ませる事だとK.A.先生は常に言っていました。 シンガポールは公用語が英語、中国語、マレーシア語で、日本人が食堂で食事をしているのが珍しいのでしょう、英語で随分話しかけられて、何日目かにはこれが旨いとか、あれを食べてみろと推薦してくれるようになり、飯場での食事も楽しみの1つになりました。
仕事が終われば街中歩き回りました。 夕食は親方持ちだったので中華や海鮮などのレストランへも行きましたが、ニュートンサーカスという屋台街での食事が最も印象的でした。 気に入った屋台で注文して、自分でテーブルに運んで食べるだけですが、どれもとても安くて美味しく、特に海鮮は日本では考えられない値段で食べる事ができました。 親方や天文台会社の人達もこの屋台街はかなり気に入っていたようです。 私と親方の倅が珍しいものを見つけてくるので、「それは何だ?」と味見しては旨いのまずいのと、みんなでにわか料理評論家になりながら食事を頬張りました。

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