2011年2月15日火曜日

鳶職 (トラウマ)

仕事で特に思い出深いのは現地の「鳶」と仲良くなった事です。 「鳶」といっても日本の鳶職とはかなり異なります。 10代後半の若い「雑用」のようなものです。 どこに住んでいるのかと尋ねると、「あそこだよ」 と屋上から見えるコンテナを指さします。 よく見るとそのコンテナには窓とドアが付いていました。 俗に言う 「コンテナハウス」 です。
「え、あそこじゃ暑くないかい?」
「うん、とても暑いから、お昼は中には入れないんだ。 夜も暑いけれど、外で寝ると蚊に刺されるから、扇風機を回して寝るんだよ。」
と笑いながら言ってました。 貰っている給料も、大部分が食事代で消えてしまう程僅かしか貰っていませんから生活はとても苦しいはずですが、そんな事を感じさせない屈託のない笑顔が印象的な子達でした。
工事には当然「足場」が必要ですが、天文台はドーム型で回転します。 しかも開閉扉のレールが角のように外へ飛び出していますから、形に合わせてきちんと作らないと回転時にいたる所が足場にぶつかってしまいます。 初めて見る天文台に、彼らはどのように足場を組んで良いのか解らないので、私達も手伝いました。 日本の鳶と比べれば、まるっきりのド素人ですが、日本では決して経験する事のない赤道直下の強い日差しの中、淡々と足場を組む様には感心させられました。 その日の3時の休憩時間に、さっきの鳶達が 「ぶっかき氷」 とジュースやコーラの入ったビニール袋をぶら下げてやってきました。 暑いだろうから飲んで下さいと私達に差入れしてくれたのです。 後でそのビニール袋に入ったコーラやジュースの値段を知って驚きました。 食事代と大差ないのです。 その日の自分達が食事をして、私達にコーラを奢ったら、その日の収入は使い切ってしまうのです。 私達にすればたった一杯のコーラですが、彼らからみればとても高価なプレゼントな訳です。 人がいいのか、気前がいいのか、あまり先の事など考えないのか、とにかく思い出深いドリンクサービスでした。
天文台の外装工事が終わり、みんなで一息ついていた時、例の鳶達が直ぐ近くで足場組みしていましたが手間取っていました。 どう見てもその作業をする為には1〜2人増やさないと効率が悪いのです。 しかも昼食後の最も日差しが強い時間に、全く日陰のない場所での作業で、見ているだけでもゲンナリしてします。 私は手を貸しに行きました。 クソ暑い中、みんな楽しそうにお喋りしながら作業しています。 私が加わると、
「日本はいい国だよね、1度日本に行ってみたいな。」
と話しかけてきました。
「でも、日本は何でも高くて、生活するのは結構大変なんだぞ。」
「高くても、質がいいじゃないですか。 私達が着ているTシャツは安いかも知れないけれど、3回も洗濯すると伸びちゃうのに、日本製は何度洗っても全然伸びないから、ずっと着られるんだ。 電気製品や道具だって、使い易くて壊れないからお金があれば全部日本製にしたいんだけれどなぁ。」
当時もシンガポールは急速に発展し、経済や外交政策の優秀さで注目を浴びている国でした。 観光などで目に入るとてもきれいな国の 「裏」 では、まだまだその日の生活で精一杯な人達が沢山おり、貧富の差はそう簡単に埋まるものではないのだろうなと感じました。
私達が後片付けをして現場を引き上げようとすると、彼らが見送りに来てくれました。 手を振りながら、
“Japan is No.1”
と口々に叫んでいるのを聞き、海外から憧れられる日本は、そんなにいい国なのかなと、何度も自問自答を繰り返しました。

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