2011年2月13日日曜日

親方の倅 (トラウマ)

この当時、母以外にもう一つ悩みの種がありました。 予想通り親方の倅です。 彼はどう見てもこの仕事には向いていませんでした。 細かい事が苦手で、手間をかけたくない、楽がしたい、休みたい。 とにかく「職人気質」とは対極的な性格の上に、仕事を覚える気がありません。 仕事がなくてブラブラしていたので、仕方なしに始めたようなものですから、ちょっと目を話せば手を抜く。 それも肝腎な所で手を抜くから、やり直しになる事もしばしばでした。 そういったミスをすると、「教えてくれなかった」 とふてくされてしまいます。 「盗んで覚える」 という言葉の意味が全く分かっていないのです。 ですから、自分からやり方を聞く事も滅多にありません。 自己流にやったやり方が 「不適切」 だからやり直すのに、自分のミスをミスだと認められないのです。 もし、仕事のやり方を手取り足取り一から教えて欲しいなら、そういう 「研修システム」 が整っている業種なり会社で働けばいいのであって、こういう教え方をする業界である事は最初から分かっていたはずです。 というのも、彼は高校卒業後、家業を手伝った時期があり、嫌になったので辞めてしまったのです。 分かっていて戻ってきたのなら、それなりの覚悟で臨むべき所だと思うのですが、多少 「社会経験」 を積んで口が達者になってしまい、「自分が仕事に合わせる」 という発想を全く持たず、「仕事が自分に合わせるべき」 位に考えている所があったのです。 差し障りのない箇所を任せたり、準備や後片付けをする分には助かりますから一緒にやっていましたが、半年もせずに私は彼と一緒に仕事をするのが嫌になってしまいました。 私がP.S.さんの元で仕事をしたかったのは、P.S.さんの仕事を覚えたかったからであって、倅の世話焼きをする為ではありません。 彼が一生懸命に仕事を覚えようとしているなら、P.S.さんへの恩返しとして私に教えられる事は教えますけれど、覚える気がない者には何を教えようと覚える訳がないのです。 彼自身も 「いつまでもこんな仕事続ける気はない」 と口にしているように、近々他の仕事に移るつもりでやっているのなら、さっさと気に入った仕事を見つけて、そこで楽しくやればいいだろう、という気持ちが私の中で大きくなってきたのです。
ただ、倅の性格が悪いという訳ではありません。 仕事を抜きして考えれば、常に何か楽しい事を探し、みんなでワイワイやるのが好きなので、一緒に遊ぶと飽きないものがありました。 誰とでも直ぐに仲良くなれる人なつこさは私にはないもので、羨ましく思っていました。 また、音楽が好きで、いつもギターを持ち歩き、歌を歌っていました。 私は音楽は好きですが、音痴で人前で歌を歌う事が苦手なので、上手に歌を歌える事も羨ましく感じていました。 今考えれば、私は彼のように自分を縛らず、自由に振る舞いたかったのかも知れません。 「腕によい職人になる」 と自分に課した課題にこだわり、「職人気質」 にこだわる余り、柔軟性を欠いていたのかも知れません。 自分でも気付かなかった内面の葛藤が、彼に対する嫌悪感を生じさせたのかも知れません。 と同時に、そんな風に自分を追い込んで仕事に全力を注ぎ込み、他の事を全て犠牲にでもしない限り、まともに仕事を身につけられないほど、私は 「不器用」 な事も事実です。 もしも私が彼のように自由に振る舞っていたなら、ここまで技術を身につける事は出来なかったと思っています。


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