2011年2月6日日曜日

プレッシャー (トラウマ)

 P.S.さんの元で働き始めてから最初の1年半は非常にきついものがありました。 P.S.さんは不満をあまり「口」には出しませんでしたが、露骨に「顔」に出る人でした。 ですから私は常に、P.S.さんの顔色を窺いながら仕事をするようになりました。 ただ、いつも不機嫌な顔をしている訳ではなく、私の仕事に納得している間は機嫌のいいこともあり、常にに気にする事はありませんでした。 最も不機嫌な顔をされたのは「町場」の仕事でした。 当時建売り専門のハウジング会社の仕事を請け負っていたのですが、単価が安く、現場も遠い為、何度も足を運べばその分赤字になるような仕事だった上、この会社の担当者が仕事をよく理解しておらず、いい加減な人だった為に、現場に行っても仕事が全くできずに無駄足になる事が頻繁にあったので、決して私だけが悪いのではありませんでした。 また、古くから付き合いのある工務店や建築関係の仲間からの仕事でも、自分の仕事と比較して、「遅い」と思えば面白くなさそうな顔をする事がよくありました。
 P.S.さんは大変腕の良い職人だった為、これまでも数多くの職人が「使って下さい」「勉強させて下さい」と頭を下げに来たそうです。 ですが、非常に気難しい為に、甥っ子が10年間勤め上げた以外は、精々3ヶ月程度しか続かかなかったそうです。 そして辞める際、奥さんに、
「大変お世話になりました。 P.S.さんの仕事はとても素晴らしいのですが、私はとてもあの人について行けません。 一緒にいると具合が悪くなってしまい、身体が持ちません。 申し訳ありませんが、暇を取らせて頂きます。 奥さんには色々面倒を見て頂き本当にありがとうございました。」
そう言い残して皆辞めてしまったそうです。 ですから、私が「半人前」である事を自覚したときには既に、甥っ子に次ぐ勤続年数記録だったのです。 腕に覚えのある職人が、P.S.さんの仕事をに惚れて「使って下さい」と頭を下げて来たのに、3ヶ月と続かなのですから、要求レベルは相当に高い訳です。 P.S.さんの元での仕事がきつい事は最初から分かっていましたが、考えているのと実際に体験するのとは、当然のことながら大違いです。 スピードがないなら、時間でカバーするしかありません。 1秒でも早く現場に到着し、休み時間を削り、時間が許す限り遅くまで仕事をしました。 朝、現場に向かう準備をする時間が惜しいので、前日の後片付けの際には翌日の仕事に必要なものを全て揃えておき、翌朝もお茶を一杯飲むなりそのまま現場に出かけました。 方向音痴なので、翌日の現場が遠くて道に迷いそうなときは、1度帰宅してから夜中に現場まで運転して、迷わないように道順を確認しました。 1人で作業しているときは10時3時の休憩は一切取りませんでした。 食事も近所にコンビニがあれば、そこでおにぎりなどを買い、口にほおばりながら作業を続けました。 午後になれば街灯などの位置を確認し、照明が取れる場所の作業を一番最後に回し、時間の許す限り作業を進めました。 一緒に仕事をする人がいるときはさすがにここまでは出来ませんでしたが、休憩時間にお茶に呼ばれても、一番最後に行きましたし、一番最初に仕事に取りかかりました。
 奥さんの話では、P.S.さんは元々朝はダラダラしているそうです。 気が乗らなければ、仕事に行くのを止めてしまい、何もしないで家に居ると、棟梁や旦那が迎えに来たそうです。 迎えに来る人達は、「どうしてもP.S.さんにやって欲しいから」と、頭を下げて頼みに来るのです。 実際、スタートは遅くても、仕事はとても早くてきれいなので、他の人が未だ仕事をしているのに仕事を終えてさっさと帰ってしまうのだそうです。 又、一緒に仕事を始めると、遅い者の尻を突いて急かすのが「大好き」だと言ってました。 私はその餌食になっていたのです ^.^;  自宅に戻ると着替えもせず、畳にバタンと横になり、目が覚めるともう朝だったという事が当たり前の毎日でした。

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