2010年12月15日水曜日

病弱 (トラウマ)

このおならを皮切りに、私は様々な「好転反応」を嫌と言うほど経験しましたから、それだけ健康を害していた訳です。 振り返ってみれば幼稚園に上がるまでは年に3~4回40℃以上の高熱を発し、42℃まで達することが殆どでした。 診断名は扁桃炎だったと記憶しています。 小学校入学直前にリウマチ熱という膠原病の一種にかかり、5ヶ月も入院していました。 別名心臓リュウマチとも呼ばれ、一般的な「関節リウマチ」とは別の病気です。 入学式は病院から通いましたが、1学期は登校できませんでした。 2学期に入り毎日1時間だけ登校が許され、3学期になると午前中だけになり、2年生になってやっと全時限の出席ができるようになりました。 本来は「落第」なのでしょうけれど、たまたま算数の足し算引き算と国語の「てにおは」つまり助詞の使い方だけはきちんとできていたので、進級しても授業について行けるだろうと校長が判断して下さったのです。 ですが「直射日光に当たってはいけない」「運動してはいけない」などいくつかの行動制限をされ、いつの間にか外に出る事が嫌いで、部屋で本を読んだりする事の好きな内向的な性格になっていました。
幼少時は病弱で、20歳前に身体をぼろぼろにしてしまった私はJA研究所のトレーニングで徐々にですが普通の健康を取り戻してゆきますが、一般の人より遙かに強い反応が出たようです。 この1ヶ月のトレーニングが終了して1~2ヶ月後、言いようのない疲労感や倦怠感が常に付きまとうようになりました。 その上、身体のあちこちが痛んだり自由に動かせなくなったりと様々な症状が現れ、これらの「好転反応が一通り治まるのに3年以上かかりました。

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