仕事ではそれなりに努力が実り、それなりに成長の跡が見られましたが、女性に関してはこれといった変化はありませんでした。 連絡を取って会う事がある女友達はK.K.さんだけで、たまにS.S.に誘われると一緒に飲みに行く程度でした。 トルコ風呂でプロにお相手して貰っても満足にセックスが出来なかった事が随分と尾を引き、自分に自信が持てなかったのです。 別に、会う女性全てとセックスする訳ではなく、特定の女性と出来ればそれでいいはずなのに、セックスをする可能性が全くと言っていいほどない女性にまで物怖じしてしまうのは何故なのかさっぱり分かりません。 ですが、セックスに自信のない男は人間関係にも自信がない人が多いそうです。 猿山のボス猿をみれば、「腕力」「権力」「性力」はワンセットですから、男という性にとって、根源的な問題なのかも知れません。 K.A.先生はこのセックスの衝動が人を動かす根源的な力だとして、フロイトのリビドー説を支持していました。 何とか勃起をするようになったとは言え、まだ女性とまともにセックスが出来ない私にとって、強い「性力」を持てるようになる事は、大きな夢でもありました。
トルコ風呂でまともにセックスが出来なかった私は、とにかく勃起を維持出来るようになることを目標にマスターベーションを1日2〜3回するようになりました。 よくセンズリは癖になるといいますが、この頃の私はまさにそれでした。 ですが、何となく「強く」なった気がする上、生食ばかりしていたので、処理が生産に追いつかないのです。 こんな状態は普通、中高生の頃に終えているはずですから、成長が10年近く遅れていたのかも知れません。 私がハワイへ仕事に行ったのは、丁度この頃でした。 しかも毎晩のようにストリップバーへ繰り出しては、アメリカ産観音様の御開帳を拝んでいたのですから、処理も大変でした。 私が帰ってきた頃には皆既に寝ていましたから、お風呂に入って最低2回ほど抜いてからでないと眠れなかったのです。 ただ、トルコ風呂に行った頃はK.K.さんをオナペットにしないと勃起しないとか射精しないとか悩んでいたのですが、ハワイに居た頃は、その日拝ませて戴いた観音様でマスターベーションできたのですから、大きな進歩でした。 実際、何度かストリートガールを買いに行こうとしたとき、以前のように「起たなかったらどうしよう」「萎えちゃったらどうしよう」といった心配は1度も頭をもたげてきませんでした。 この頃の私の悩みは「どう処理するか」に変わっていたのですが、気分がハイになっていたからなのでしょうか、「進歩」への自覚がありませんでした。
折角ここまで回復したのに、P.S.さんの所で仕事を始めてからというもの、勃起するとしても「疲れマラ」だけで、マスターベーションなどする余裕など殆どありませんでした。 これ以前もこれ以後も、私は「疲れマラ」というものをほとんど経験していません。 又、こんな時は「朝立ち」するのが普通だと思うのですが、私はそんな力強い朝を迎えた事も数えるほどしかありません。 もともと「性力」が弱いみたいです。 これまでだったら、起たない自分の股間を眺めてため息をつき、気分が落ち込みながらも、元気のない大事な1人息子の面倒を見てあげているところですが、それだけのゆとりがなくなっていたのです。 お風呂に入って洗うときと、小便をするときに触ってあげるのが精一杯で、あとは「疲れマラ」でどうにもならなくなるまで「放置」していました。
約1年半続いたこの「放置」がよかったのかどうか分かりませんが、P.S.さんの元での仕事に転換点を迎え、精神的に余裕が出来、改めて1人息子を眺めてみたとき、まともに勃起し、普通に射精できるようになっている事にようやく気が付き、その事に実感が伴ってきたのですま。 その上、「起たなかったらどうしよう」「萎えたらどうしよう」など、ずっとつきまとっていた「不安」もいつの間にか消え去っていました。
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