正確にいつ頃からなのか覚えていませんが、 私が訓練校に通い始めた頃だったと記憶しています。 私は再びS.S.と連絡を取るようになっていました。 年子の男の子を2人産み、多少手が離れたので、S.S.も余裕が出てきたのです。 家に遊びに行って食事をご馳走になったり、外で会っても中学時代の同級生や2人の子供が一緒の事がほとんどでしたが、たまに2人で飲みに行く事もありました。 飲みに行くと言っても私は「ウーロン茶」や「トマトジュース」しか飲みませんでした。 飲んでいるのはS.S.の方です。 話していていつも感じる事ですが、S.S.は「このまま『主婦』で終わりたくない」と思っています。 私も何か始められれば、彼女に手伝って欲しいと思いますが、取り敢えず板金職人として一人前になる事が先ですから、例え実現しても当分先の事です。 そして、あれほど夢中だったのに、K.K.さんと出逢ってからはS.S.を特に女性として意識しなくなった事が自分でも不思議でした。 「一つの恋を忘れるには、新たな恋をするしかない。」という先人の言葉に妙に納得した事を覚えています。
訓練校時代はK.K.さんとも頻繁に会っていました。 仕事が終わればそのまま車で彼女の家にまで行きました。 今考えれば、平日の夕方、浅草から杉並まで、1時間ちょっとで到着していたのですから、無茶な飛ばし方をしていました。 事故を起こさなかっただけでも運が良かったのだと思いますが、この頃は1秒でも早く会う事しか考えていませんでした。 いくらK.K.さんと親しくなり、友人達を交えて一緒に旅行などに行ったりしても、彼女は付き合っている彼の事しか頭にありません。 会いたくて仕方がなくても、会ったら会ったで彼女の後ろにちらつく彼氏の影に苦しめられる、そんな毎日で、全く進歩がありませんでした。
そんな毎日に多少変化が訪れたのは、私がP.S.さんの元で働くようになってからです。 帰宅するなり意識を失うように寝入ってしまう日が多く、しかも休日は月に1回しかありませんでした。 JA研究所が毎月第4か第5日曜日に、K.A.先生が選んだメンバーに講習をしていたので、私は毎月必ず出席していました。 ですが、それ以外は正月も三が日しか休みませんでした。 時には疲れが溜まる事もありましたが、その疲れは帰宅してから取り、翌日には必ず仕事が出来るように心掛けていました。 自分の健康管理が満足に出来て始めて一人前のプロだとK.A.先生にいつも言われていたからです。
ですが、K.K.さんから誘いの電話があった時だけは、翌日の仕事の事などすっかり忘れて車を飛ばした会いに行きました。 明け方まで一晩中車を運転した翌日の仕事は辛いなんてもんじゃありません。 身体が急にカーッと熱くなる、鳥肌が立つ、悪寒が走る、目が回る、意識が飛ぶ、目を明けているのに夢を見る、無性に喉が渇く、食欲が全くない、などの症状が交互にやってきます。 その上「疲れマラ」というやつでしょうか、突然勃起していつまでもおさまらなくなるのです。 この「疲れマラ」が起きると、仕事が終わるまでやり過ごして、帰宅したら直ぐに寝る以外に解決方法はありません。 間が悪く、寝る前に勃起してしまうと、マスターベーションしない限りはいくら眠くても眠る事が出来ませんでした。
つまり、仕事が終わると疲れ切って朝までぐっすりと眠っているか、そのまま全く寝ずに起きているかのどちらかしかない極端な生活が暫く続きました。 仕事時間中は仕事で精一杯。 帰宅すれば疲れ切って寝入ってしまう。 K.K.さんと会っている間だけは疲れも眠気も仕事の事も全て忘れてはしゃいでいる。 そんな単調なリズムの生活が1年半近く続きました。
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