訓練校を卒業した年に、業界紙の求人広告が目に入りました。 ハワイで銅板屋根工事をする職人を募集していたのです。 「こりゃ、求人率高そうだな。」と思ったので、大して期待もせずに面接を受けに行ったら、応募したのは私一人でした。 バブルによる建築ブームで、何処も職人が足りない時代だったのです。 たった40日、実質稼働日は30日程度でしたが、以前、英語を必死になって覚えた事がかなり役立ちました。 日本では一般的に行われている「平葺き」ですが、現地ではほとんど行われていない為、「技術指導」という事で入国しようとしましたが、入国審査に引っかかり、面接に2時間以上かかりました。 ジャパンパッシングが激しい最中に、ワーキングパミットも所持していない「労働者」を日本から受け入れる訳にはいかないのでしょう。 一緒に行った他の3人は全く英語が話せなかったので、私が審査官と2時間も話し続けたのです。 幸いな事に、当日はバングラディッシュかインドだったと思いますが、十数名の「不法労働者」らしき集団も入国審査に引っかかり、形だけでも「技術指導」を取っている私達に構っていられなかったらしく、「放免」となりました。
材料などは予め加工し、日程に余裕を持たせて輸送しておいたのですが、いざコンテナから出す段階で「無作為抽出検査」に引っかかり、10日近くも港で足止めを受けてしまい、全く仕事になりませんでした。 アパートは3LDKで、元請会社の担当者と同居です。 場所はワイキキとアラモアナの間にあり、距離も大して離れていませんでしたから、材料がコンテナ出しされるまでは観光気分に浸ることができました。
食事は自炊でしたが、好きな食材を欲しいだけ選べました。 仕事が終わるとスーパーに寄り、アパートに帰って料理しました。 肉やチーズを始めとする私の好物がとても安かった事と、おいしい日替わりスープが売っていたましたので、毎日が「バイキング」のように感じました。
親方も他の2人の職人も、「英語はちょっと・・・」と苦手意識が強くてコミュニケーションが取れないので、現地の職人とはいつも私が話をしていました。 又、昼休みや休憩時間もクーラーの効いた事務所で食べていましたが、私はいつも現地の職人達と食べていた為にとても仲良くなれました。
労働時間の違いにはちょっと驚きました。 日差しが強い為でしょうけれど、朝7時から仕事を始めます。 途中休憩はなく、11時から11時半が昼食時間です。 そして3時半には仕事を終えて家に帰ってしまいます。 日本のように途中で何処かに寄ったりせず、皆、自宅へ直行する事には感心させられました。 私達は5時から5時半位まで仕事をしていましたが、気候に合った有効な時間管理なのかも知れません。 仕事が終わって自宅に帰ってからの時間がたっぷりとありますから。
仕事のペースはのんびりしたもので、日本のように「競争」して仕事をするような習慣はないようです。 後日、証券会社に勤める友人から聞いた話ですが、バブル最盛期にあの野村證券のハワイ支店は3時頃には営業終了して社員は自宅に帰っていたそうで、「証券業界七不思議」の1つとまで言われていたそうです。 私は南国ののんびりとした雰囲気が益々気に入りました。
施主とは2度しか会っていませんが、2回目に食事をご馳走してもらいました。 何をしている人なのかよく分かりませんが、九州に住んでいて、ハワイに来る時は「自家用ジェット機」に乗ってくるのだそうです。 元々は40人乗りだったそうですが、そんなに人数を乗せる事もないからと、12人乗りに改造し、ベットみたいな大きいシートに取り替えて、カウンターバーを設置したそうです。 一等地のダイヤモンドヘッドに建てた別荘は、大勢の客を招く事ができる作りになっていて、ビリヤード台も置くとか言ってましたし、寝室が何部屋もありました。 それが奥さんへの「結婚○○周年祝い」のプレゼントとして建てたと聞いた時は「棲む世界が違う」と思いました。
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