しかし、落ち込んだからといってインポテンツが治る訳ではなく、返って悪化さてしまうのですから、残された道は少しでも「性」と「精神」の両面を成長させる事しかなく、そうしなければ「自分の将来はない」という、半ば強迫観念に近い思いで必死に自分を「改造」してゆきました。 それでもなかなか成果が得られずに、疑問が湧いてきた事も1度や2度ではありませんでした。 今、こうして振り返っても、よく何年も我慢できたなと、自分に感心します。 それだけ集中力はあったのだと思いますし、ある意味では精神的に追い詰められていたのかも知れません。 同時に「盲信」し易い私は、1歩道を誤れば、取り返しがつかない所まで行かないと、行き着く所まで行かないと、気付かないという危険性も抱えているようです。
そんなある日、講演会にもトレーニングもほぼ毎月通っている人の中に、インポテンツを治したくて通っている人がいる事を知りました。 詳しい事は知りませんがマザコンだったようですから、K.A.先生の言葉を借りれば「マザコンインポ」という最悪パターンです。 トレーニングは「乳離れ」から始めたので、成果が出るまでにはとても時間がかかったそうです。 そして、風俗ならなんとかセックスができるまでになった事を知ってからは、たまに湧いてきた疑問も湧かなくなり、今まで以上に「精進」しました。
そんな生活を1年以上続けていると、エロ本などを見た時に多少大きくなるようになりました。 私はインポテンツ以外に、小さくなっている時は皮が被っている事も気にはなっていました。 そして「平常心」時の大きさは銭湯に行くと前をタオルで隠さなくてはならない程惨めなものでした。 「インポ」「包茎」「短小」と三冠王なのですが、「インポ」と「包茎」はそう簡単にばれません。 ですが学生時代、プールの授業では海水パンツを履くので簡単にばれてしまいます。
「お前、付いてるのかよ?」
と同級生からよくからかわれましたし、「嫌な奴」が隙を見ては「確認」する為に触ってきました。 中高校生時代に何度も物差しで測り直しましたが、勃起時には13㎝と日本人の平均並みになるですし、その時にはちゃんと皮もむける「仮性包茎」なのですから、気に病む事もないはずなのですが、勃起をしなくなってからは、小さくて皮を被っている幼稚園児と大差のない物しか目に映らない訳ですから、この2つも私を落ち込ませる一因になりました。 一回り大きくなると皮もむけるので、回復しているという「実感」が湧いてきて、涙がこぼれ落ちてきそうになるほど嬉しい出来事でした。 そのうちに大きくなるだけでなく、僅かですが「硬さ」も加わり始めました。 その「ふにゃチン」が次第に硬さを増してきて、刹那的にでも勃起をするようになった時には嬉しさの余りマスターベーションすることも忘れ、自分の一物を握り締めながらただじっと眺め入ってしまいました。 ですが、この段階ではまだ「朝立ち」はしませんでしたし、「体調」 「おかず」 「刺激」 の3拍子が揃わなければ「勃起」すらしません。 運良く勃起したとしても、最初は1分程度で萎えてしまう儚いものでした。 それが2~3分持つようになり、勃起する確率も上がってくると、センズリの真似事ぐらいは出来るようになりました。 しごけばちゃんと感じるのです。 ですが、いくら感じても「息切れ」するように萎んでしまいます。 「根性なし」のチンポコに腹が立つわ情けないわでしたし、女友達との「武勇伝」を友人から聞かされると怨めしいものがありました。
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