2010年9月25日土曜日

「もうちょっと遅れていたら危なかった」 (世代間伝播)

ようやく周りに馴染み始めた頃、私にY.G.塾を紹介して下さった気功の先生と、その先生を紹介してくれた友人が会場に駆けつけてくれました。 Y.S.先生は開口一番、「よく彼を紹介してくれたね、もうちょっと遅れていたら危なかった所だよ。」 「君にとっては命の恩人だよ。」と気功の先生と話しを始めました。 気功の先生によるとY.S.先生とは「協力関係」にあるそうで、これまでも多くの人をY.G.塾に紹介し、感謝されてきたそうです。 「電話で君の声を聞いたとき、『こりゃやばい』と思って、慌ててY.G.塾を紹介したんだよ。 でももう大丈夫だろう。」 との気功の先生の言葉に、「いや、彼はまだまだ沢山抱えているんだ。 1日も早くお母さんと和解しなくちゃならないんだよ。」
私の脇で話す二人の会話を聞いているうちに、私の意識は少しずつ現実に戻って来たようです。 そういえば半年ほど前から感情の余韻が少しずつ無くなっていたっけ、取り敢えずY.K.さんに連絡を取って、世代間伝播を少しでも解決に近づけなければならないな、そんな事を考え始めました。 感情の余韻が消えかけていた事を話題に出すと、「そうでしょう、心が死にかけていたんだもの。」と、よく分からないような返事が返ってきました。 電話でちょっと話しただけでそんな事が分かるのかなと不思議に思っていると、「真我に出会う事で、死にかけていた心が蘇ったんだよ。 もう暫く放っておいたら心が死んでいたよ。」「本当にぎりぎりのところだったよ。」と2人の先生に畳み掛けられ、何となくですが追い詰められた状態を認識し始め、ぞっとしてきました。
ただ一つ、嬉しかった事は、目が僅かですが澄んだ事です。 私は中学生の頃、自分の目に「精気」がなく、濁って見える事が気になって仕方ありませんでした。 決して物理的に「濁り」がある訳ではなく、どことなく「死んだ目」をしているのです。 鏡を見る度に「何でこんな目をしているんだろう」をため息をついていました。 それがセミナー修了後、トイレで鏡を見たとき、僅かですが目に輝きが出てきたのです。 今まで気になっていた目の「濁り」は心のゴミを映し出していたのでしょうか?


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