2010年9月18日土曜日

「ごめんなさい」の一言 (世代間伝播)

ゴミ出し作業を始めて間もなく、父に対しては素直に「ごめんなさい」と謝れました。 これまで自分がとってきた行動がどれだけ父を傷つけ、悩ませてきたかが頭ではなく「身体」の芯から、「心」の底から体感できたのです。 そして「ありがとう」と心の底から感謝できました。 なんて素晴らしい父の元に生まれてきたのか、なんて「ありがたいこと」なのだろうという実感が溢れるように湧きだして涙が止まりませんでした。 何故一番身近な人のありがたさをこれまで分からなかったのか、私は何て幸せな星の下に生まれたのだろうという喩えようのない思いで全身が打ち震えます。 「これが真我なのか」と思うと、受講者が「どう説明していいか分からない」と異口同音に言う訳が分かりました。 言葉ではなく全身、いやむしろ「魂」で感じる世界です。 そんな世界が自分の中に存在しているのです。 Y.S.先生が「求めても見つかりませんよ。 外にあるんじゃなくて元々私達の中にあるんですから。」とセミナーで言われていた分かったような分からないような言葉の意味も分かりました。 続いて母でも同じ作業を行いました。
ですが母に対してのゴミ出しは、「不平、不満」を書き出していくうちにが「恨み辛み」に変わってしまい、どうしても「ごめんなさい」の一言が書けませんでした。
「嘘でもいいから『ごめんなさい』と書いてごらん」
と言われても、そのたった一言のを私の心が激しく拒むのです。 自分でも不思議でした。 父は「建築板金」の職人で、私も父の後を継ぐつもりで仕事を覚えましたが、母との折り合いがとても悪くて我慢できずに家を出てしまったほどです。 ですが母との間には、幼児虐待を受けたとか、何か大きなわだかまりになるような出来事があったわけではありません。 何故、父と母に対する思いがここまで異なるのでしょう?

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