2011年4月17日日曜日

習うより慣れろ (タイの日常生活)

私が病院に勤めていた頃の話です。
タイの私立病院は資格を得た「看護師」以外にも、「看護助手」が沢山います。
着ている白衣は同じでも、「看護師」はナースキャップを被っていますが、「看護助手」は被っていません。
邪魔だからとか着替える際に被るのを忘れた訳じゃなくて、「被る資格」がないのです。
折角資格を取り、戴帽式で手にしたナースキャップを被り忘れて、知らない患者から「看護助手」と間違えられないように、「誇り」を守るために「看護師」なら忘れずにナースキャップを被ります。

この「看護助手」は看護学校を卒業したけれど「看護師」の資格が取れなかったり、看護学校を中退した者が主です。
「看護師」の資格がないので「看護助手」「医療行為」に当たる注射や採血などは法律で禁じられており、患者の案内や診察順序、カルテの手配、診察予約、休憩している医師の呼び出しなど、仕事は「雑務」がメインです。
「雑務」というとどうでもいいような印象を受けますが、病院はこの雑務がとても多い職場です。
そしてこれらの仕事のどれか一つでも滞れば、肝腎の医療行為に支障を来しますから、見かけよりも遙かに重要な仕事です。

経験年数の長い者は、下手な看護師より実務経験を積んでいますから判断も適切で、新米看護師などは顎で使われています
又、気難しい先生の扱い方を心得ている看護助手は、その先生の「専属」のような存在になってしまい、その看護助手を通じて話をしないと、話がまともにできない事すらあります。

日本人がタイに観光旅行にに行き、バンコクで医師にかかるとしたら、海外保険が使えて、日本人通訳がいる4つの市立病院のどれかになると思います。
そして、「看護助手」の存在を知らなければ、「看護師」の数の多さに驚かされます。
確かに患者数や医師数に対する「看護師」の数だけでも多いのに、「看護助手」は病院によっては「看護師」の2〜3倍いますから、驚くのも無理ありません。
でも、本当に驚くべきは仕事の「能率の悪さ」で、やる事なす事全て能率が悪いからこんなに人数が必要なのです。
国立病院に1度でも行った事があれば分かると思いますが、予算がなくて事務処理も医療スタッフも数が少ないのに、治療費が安いから患者でごった返しています。
お役所仕事ですから、一体いつになったらカルテが上がって来るのか、診察は何時になるのか、会計は何時済むのか、さっぱり分かりません。
それと比べると、枯木も山の賑わいで、一見不必要に見える「看護助手」も、いないよりいた方が仕事ははかどるはずで。

そして、ベテラン看護助手の中には、注射や採血がそんじょそこらの「看護師」よりもずっと上手い者が結構います。
患者によっては血管が細かったり浮き上がって来ない人がいます。そういった例は子供に特に多く、しかも泣いてしまい余計な力を入れるのか、血管が浮かない事がとても多いのです。
血管を浮かせたり、探り出すのが上手な者がやらなくてはなりませんが、「資格」がなくても上手な者がいて、その者に頼らざるを得ない事がよくあります。
資格がないのに上手だという事は、これ迄散々、法で禁じられている「実地研修」を行っていた訳です。
私が勤めていた頃は、病院側も「法令遵守」を意識して、こういった行為を禁じ、徹底し始めた頃だったので、少なくなりましたが、注意して見ると、たまにやっていました。
私なら「資格」のある下手糞よりも、「無資格」で上手な者にしてもらいたいと思います。

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