友人であり、私のタイ語の先生でもあるM.T.さんは、タイの有名大学の日本語学科を首席で卒業しまし、日本人に近い考え方をするタイ人です。
以前、彼女のお義母さん、つまり旦那の母親の話を聞いた事があります。
以前、彼女のお義母さん、つまり旦那の母親の話を聞いた事があります。
お義母さんは嫁いでから、用事があって家に居なかった時を除き、毎朝必ず、近所のお寺に行き、庭や御堂の掃除をして花を飾っているそうです。
それも夜明けと共に、誰よりも早くお寺に行き、特に御堂を丹念に掃除しているそうです。
それも夜明けと共に、誰よりも早くお寺に行き、特に御堂を丹念に掃除しているそうです。
明け方から説法の時間までは何時間もありますが、その間ずっと掃除をしながらお坊さんの説法を待っている訳です。
お義母さんの指定席は中央にある大きな柱の直ぐ隣です。
この席に座りたいからこそ、朝一番でお寺にやって来て、御堂を綺麗にしているお気に入りの席なのだそうです。
お義母さんの指定席は中央にある大きな柱の直ぐ隣です。
この席に座りたいからこそ、朝一番でお寺にやって来て、御堂を綺麗にしているお気に入りの席なのだそうです。
ですがM.T.さんは最初不思議に思ったそうです。
毎日必ず夜明けと共に家を出て、お寺を掃除するほど熱心な信者が、何故お坊さんに近い前の方に座らないのかと。
でも、お姑さんなので遠慮して何も尋ねず、一緒に説法を待っていたそうです。
そして、お坊さんが説法を始めると、その理由が直ぐに分かったそうです。
毎日必ず夜明けと共に家を出て、お寺を掃除するほど熱心な信者が、何故お坊さんに近い前の方に座らないのかと。
でも、お姑さんなので遠慮して何も尋ねず、一緒に説法を待っていたそうです。
そして、お坊さんが説法を始めると、その理由が直ぐに分かったそうです。
お義母さんはその柱に寄り掛かり、グーグーと寝入ってしまったのだそうです。
掃除で疲れているのでしょう、説法の間、眼を覚まさなかったそうです。
別にこの日に限らず、朝日が昇るとお寺に来て、掃除をして花を飾り、説法の時間になると、この柱にもたれ、説法が終わるまで寝ているのだそうです。
「お義母さん、一体何の為にお寺に来ているのかしら・・・?」
M.T.さんはすごく疑問に思ったそうです。
私もその話を聞いて同じ事を考えました。
私もその話を聞いて同じ事を考えました。
「それならお寺に行かなくてもいいじゃないか」
と思いました。
「柱にもたれて居眠りする為に早起きする」という行為が本末転倒に映りました。
「柱にもたれて居眠りする為に早起きする」という行為が本末転倒に映りました。
でも他の友人にこの話をしたら笑いながら、
「きっとそのお義母さんは、毎朝、説法を聞きに来る人達の為に、毎日お寺を綺麗にしているんですよ。」
「柱の影で休んでいるのは、説法を聞く人達の邪魔にならないようにだと思います。」
「柱の影で休んでいるのは、説法を聞く人達の邪魔にならないようにだと思います。」
と答えてくれました。
物事はちょっと角度を変えるだけで、全く異なって見えるんだなと、「ものの見方」を教えられた気がしました。
同時に、人にはそれぞれ「役割」があるんだなと感じました。
同時に、人にはそれぞれ「役割」があるんだなと感じました。
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