私と母の間にはいくつもの諍いがあり、その度に溝が深まりました。 でもよく考えれば、それはあくまでも「きっかけ」にしか過ぎず、それよりずっと以前から、互いが気付かない間に心の深い部分では既に激しく憎み合っていたはずです。 何かのきっかけでたまたまそれが表面化してしまっただけで、遅かれ早かれ関係は壊れてゆくはずだったのです。 では、一体いつから憎み合うようになってしまったのでしょう。 親子の愛が、当人も気付かない間に「憎しみ」や「恨み」にすり替わってしまい、すり替わった事にすら気付かないというのはあまりに残酷な話です。 又、魂のレベルにまで染みついてしまった「歪んだ愛情表現」は、例えその事に気が付いたからといってそう簡単に治せるものではなく、気を常に張っていても僅かなほころびから表面化してしまうでしょう。 ましてそのことにすら気が付かなかったら、「当たり前」の事として「歪んだ愛情表現」をしてしまうはずです。
ですが私の母は祖母から受けたような仕打ちを我が子にはするまい、自分のような思いはさせまいと私を育ててくれたのです。 それなのに何故私は母の心の傷ばかり見ていたのでしょう。 本来見るべきなのはその傷の痛みに耐えながらも精一杯注いでくれた愛なはずなのに、当人も気付かないうちに向けるべき視点がずれ、問題がすり替わってしまったのです。 そう考えるととんでもない誤解と無駄な時間を過ごしてきた事が残念でなりません。 そう思えば思うほど、
「あの頃の笑顔を思い出したい。」
心からそう願いました。 それが失った大事なものを取り戻す最初の一歩のような気がしてならなかったのです。
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