2010年10月8日金曜日

まだ中途半端 (世代間伝播)

今回のセミナーで私は母の笑顔を2~3こま思い出しました。 断片的で朧気な記憶ですが、このときの私にとっては母と私の心を繋ぐ貴重な細い糸でした。 ただ残念な事に、やっと「ありがとう」と言えたときにはプログラムの殆どを終了していました。 「ごめんなさい」と言うためだけに1回、「ありがとう」と言うためだけに1回、セミナーを受講したことになります。
受講後に鏡を見たら、前回の受講よりも目の濁りが取れていました。 まだまだ「澄んだ目」にはほど遠いですが、嫌で仕方がなかった目の濁りが取れた事は受講の成果を実感できる嬉しい出来事の一つでした。 ですが、他の受講者のような躍動感とか感激のような高揚感には至りませんでした。 むしろ何かすっきりとしない気持ち悪さがつきまとうのです。 受講前は母に「ありがとう」とさえ言えれば、自分が抱える問題はある程度解決して「生まれ変われる」位に思っていましたが、正直言って受講前と「大差」ないのです。 良くなった所をあげればいくつも挙げられます。 ですが肝腎の精神状態が受講前以上の深い「悲しみ」に覆い尽くされ、全く覇気が出ません。 まるで、やっと言えた「ありがとう」は、何とか前に踏み出せた初めの一歩に過ぎなかったかのようです。 Y.S.先生も「まだまだ何かあるね。 せっかくここまで全力で打ち込んできたんだから、いける所までとことん真我を突き詰めた方がいいよ。」と励まして下さいました。
私もこんな中途半端な状態で終わらせたくありません。 ですが一体全体何を抱えているのかと、心の奥底を見詰めようとすればするほど、自分はまともな人間ではない、人として最も大事なことが欠けている、そんな思いにかられてしまい気持ちが萎えてしまいます。 Y.S.先生はよく「本当の自分」「真我」とは人間誰もが心の中に持っている黄金の光であり、その黄金の光は「ゴミ」に埋まって見えないだけだと説明して下さいますが、私の心の中には腐ったゴミしかないかのようです。 自分で自分が全く分からない混乱、どうにもできない無力感、そして先行きの不安の中で、とにかく今できる事を私は必死に探し求めました。

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