今回隣の席だったM.I.さんは私に負けず劣らず書きまくるし、頻繁にY.S.先生に見て頂いていました。 そしてとてもよく泣きました。 ここまでは私と同じようなものですが、 多少勝手の違うことがありました。 彼女の泣き声です。 突然子供が泣き出すようにとても高い声で始まるその独特の泣き声が耳に入った途端、私の鉛筆の動きは止まってしまい、彼女に釣られて激しく泣き出してしまうのです。 彼女の泣き声が耳触りだとかそう言う訳ではありません。 ただ今回は迷いがあったためなのでしょうか、それとも対象がはっきりしないためなのでしょうか、M.I.さんの泣き声は彼女の人生の「辛さ」や「悲しさ」が高濃度に凝縮され、強く激しく私の心を抉るのです。 それはまるで、これまで2回の受講で感じた辛さなど、これから始まる本番に備えるためのプロローグに過ぎなかったのではないかと感じてしまうほど激しくつよいものでした。 いくら自分のことに集中していても、1度M.I.さんの泣き声が聞こえると、彼女が泣き止むまで私の涙も止ままらず、作業は何も出来ない始末です。 不思議な事にその泣き声が止むと、泣き声を聞く直前の作業から集中して再開できるのです。 まるで彼女の泣き声は時間を切取るナイフで、私の心は時間ごと切り取られて持って行かれたかのようでした。
後日、Y.S.先生に何故深く自分に集中しているのに、M.I.さんの泣き声を自分の事以上に苦しく感じるのかと尋ねたことがありました。
「似たような境遇だったから、真我のレベルで共鳴するものがあるんだろうね。 真我は元々一つで、自分や他人の区別なんかないんだから。」
とのことでした。
0 件のコメント:
コメントを投稿