2011年1月7日金曜日

疲労感 (トラウマ)

これら以外にも多くの事を学び、学んだ事は体験を通じて理解してゆきました。 1ヶ月のトレーニングを終了して最初にぶつかった問題は「体力」でした。 トレーニングを受ける前から感じていた事ですが、ほぼ毎日、午後3時頃になると身体が重くなって動きが急に鈍くなり、頭もボーッとして父の言う事がきちんと耳に入らずにトンチンカンな事ばかりしていましたし、仕事が終わると暫く何もしたくないほどぐったりしていたのです。 トレーニング後はそれに加えて激しい好転反応が起き、常に身体が怠くて仕方がありませんでしたし、夏でも手足が冷え、頭はのぼせていました。 仕事が終わると何もできないほど疲れているので、インポテンツの事など気にする余裕すらありませんでした。
思い返せば小学校低学年の時、運動する事を禁じられていたのでいつの間にか身体を動かす事が嫌いになり、小学校高学年で既に「理屈っぽく」なっていましたし、高校卒業時にはすっかり「口先ばかり世間知らず」に成長していたのです。 そんな人間が体力が資本の世界に入り、同時に自分を成長させようと思えば当然、時間がかかります。 何度も、と言うよりほぼ毎月へこたれていました。 そして「もう駄目だ!」と諦めそうになる頃に講演会があり、K.A.先生に会うと「このままじゃいけない!」と再奮起するのですが、1ヶ月も経つか経たないうちに又へこたれ始め、諦めそうになった頃に又講演会に参加するという綱渡りのようなサイクルが数年続きました。 激しい好転反応は3年近く続き、言いようのない怠さから解放される日はありませんでした。 「何故、自分の身体なのに、自分の思うように動かないんだ!」と叫びたくなるようなもどかしい日々でした。
私は甘い物が大好きでしたが、トレーニングを受けてから一切止めました。 母は肉が嫌いな為に、私の家はおかずに肉が少なかったと思います。 当時解禁された輸入牛が徐々に市場に出回り始め、よく探すと安い牛肉を扱う肉屋があったので4~5㎏まとめ買いして300㎏ずつ切り分けて冷凍保存しました。 肉が嫌いな母は肉の塊を見ただけで何かおぞましいものでも見るような顔をして私とその肉を睨み付けていました。 おかずに肉類がなければ自分でおかずを買ってきて食べていたので、母は面白くなかったのでしょう、食生活を変えて間もなくから、母は私を露骨に非難し出し、やる事一つ一つに干渉し出したので、関係が急に悪くなりました。 レアステーキや生肉を取る時にはニンニクも同時に取ると更に効果的だと言われれば、おろし生ニンニクを塗ってそのまま食べていました。 仕事先への移動中たまたま見つけた肉問屋にはいつも「馬刺」が置いてあったので、1回約250gの馬刺しに生ニンニクをたっぷり塗りつけて週2回は食べるようになりました。 家族を始め、周りの人達はとても臭がっていましたが、私は全く気にしませんでした。 身体を作り直す為には、他人の目など一々気にしてはいられなかったのです。

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