2010年9月30日木曜日

スタッフの方々の好意 (世代間伝播)

Y.K.さんがした努力を今度は私がする番です。 たまたま娘さんが診察を受けた医師からアドバイスを受けた後、Y.K.さんは日本には殆ど資料がないので英語の資料にも随分眼を通したようです。 その経験や知識を彼女から与えてもらえる分、私は楽なのかも知れませんが、「覚悟」をしなければならない点では同じです。 気持ちは重く沈みました。
翌日、仕事を終え帰宅すると直ぐにシャワーを浴び、さっさと食事を済ませるとセミナーでやった「ゴミ出し」作業をやりました。 セミナー中ほど深く自分を掘り起こせませんが、それでも「ゴミ」はいくらでも出てきます。 出せるゴミは少しでも出して、セミナー当日の「ゴミ出し」に費やす時間を少しでも減らして本題の「真我開発」に集中しなければなりません。 独りで泣きながら便箋に向かって、醜い感情を吐き捨てる日々が続きました。
私の父は建築鈑金職人です。 トタン葺き屋根と雨樋の仕事を中心に、台所のステンレス貼りや天蓋、排気ダクトなどの製作取付をしています。 父から仕事を学び、家業を継ぐ気だったのですが、母との折り合いが悪く、堪らなくなって家を出てしまい、その後は仕事が忙しい同業者の間を転々としている「流れ職人」でした。 この時期、私は町場の仕事を中心にやっていたので雨の日は仕事が休みになる場合が度々ありました。 Y.G.塾のスタッフの方が、「仕事が休みの日は自宅でじっとしているよりはY.G.塾にきてゆっくりしてなさいよ、その方が精神的にずっといいから。」と、事務所に遊びに来るよう勧めて下さったので好意に甘えさせてもらいました。 遊びに行くとは言ってもスタッフの方々は仕事がありますから、ソファーに腰掛けて本を読んだり、疲れるとうとうとして、スタッフの方々が帰る少し前にアパートへ戻っただけでしたが、無理に関わらず、そうかといって放って置かれる訳でもなくたまに声をかけて下さった気の使い方や距離感に多少は癒されました。
又、居ても立ってもいられない遣り切れなさに苛まれたとき、仕事で忙しいはずなのに時間を惜しまず丁寧に電話対応して下さいました。 もしスタッフの方々の好意がなかったら、2回目のセミナーまでの12日間はもっと辛い絶望的なものだったはずだと思うと、家庭的な対応が本当に有り難く感じました。




2010年9月29日水曜日

関係改善 (世代間伝播)

その後Y.K.さんは自分の母親との関係改善に努めますが、母親の事をちょっと意識しただけでも体が拒絶反応を起こし、心が硬直し、努力をしようとすればするほど結果は逆に悪くなったそうです。 母親から肉体的虐待などは受けなかったそうですが、非常に言葉がきつい人で、しかもヒステリーっぽくまくし立てられ、その声を聞くと子供の頃から体に染みついた条件反射で何一つ言えなくなってしまうのだそうです。 Y.K.さんが母親と対面したときの反応の事はこれまで何度か聞いていましたが、今回は自分の問題と捉えたからでしょう、身に迫るものがあり、いたたまれなくなりました。 そんな関係を、親子水入らずで旅行に行けるようするまでには、それこそ「知らなければよかった」と思った事は1度や2度ではなく、何度も放棄して逃げ出したくなったそうです。 ただ、自分の子供にだけはそんな思いをさせたくないという思いだけが、その時のY.K.さんを支えてくれたそうです。 その甲斐あって、2人の娘さんは病気もしなくなり、旦那さんが亡くなってからも親子3人とても仲のよい家庭を築け、世代間伝播はY.K.さんでストップできたそうです。




2010年9月28日火曜日

「気付いた人」が取り組む (世代間伝播)

1980年代のことですから、日本でこの問題はまだ殆ど取り上げられなかった時代です。 この医師はアメリカを初めとする多くの論文に眼を通し、何が問題なのでか、原因は何であるのか、当事者はどう対応するべきか等の深い理解に基づいたアドバイスができる人で、Y.K.さんの子供が病弱なのはY.K.さんの心が原因であると説明しました。 母親とY.K.さんの関係がそのまま自分と娘の関係になってしまうことを2人の娘さんは病気になる事で訴えているという言葉に最初はかなり戸惑ったそうですが、医師の言葉には思い当たる節が多々あり、認めざるを得なかったそうです。 もし、Y.K.さんがこの問題を放置すれば、今度はY.K.さんとその子供が同じ問題を抱え、子供とその孫へと受継がれてしまう性質の問題である事。 例え原因が自分の親にあったとしても、親を責めて問題が解決する訳ではなく、「気づいた人」が取り組まねばならない事などかなりの時間を割いてアドバイスしてくれたそうです。


2010年9月27日月曜日

「『知らなければよかった』と思いますよ」 (世代間伝播)

その日の仕事を終え帰宅すると、私はすぐY.K.さんに電話をして、この2日間のセミナーで見た事を説明し、アドバイスを求めました。 Y.K.さんによれば「決して焦らず、無理をしない。」ことが第一だそうです。 世代間伝播の問題は根深く張っていて、1歩前進したかと思えば、2歩も3歩も後退してしまい、努力は空回り、無力感に苛まれる事は珍しくないとのことです。 ですが、年単位で見れば、努力は僅かずつではあっても実を結ぶから、決して諦めないようにとアドバイスしてくれました。 話を聞きながら、Y.K.さんがこの問題に関わるきっかけになったという出来事が頭の中に浮かんできました。
Y.K.さんには2人の娘さんがいます。 幼い頃は2人とも体が弱く、よい病院だと聞けばかなり遠くまで通ったそうですが、体は丈夫にはならなかったそうです。 ある日、症状がかなり重かったので、旦那さんの友人の紹介で旦那さんの勤務先から近いT病院へ子供を連れて行ったそうです。 そして子供が病弱で病院通いを頻繁にしている事を医師に訴えました。 診察に当たった若い医師は一通り話を聞き、いくつか質問した後、「あなたが死ぬ気で取り組めば、お子さんを救う事はできますよ。 ただ、それはあなたにとって本当に辛いことですよ。」と答えたそうです。 Y.K.さんは子供を助けたい一心で「やります。」と答えたそうです。 医師は「本気で取り組むならお話ししましょう、ですが、『知らなければよかった』そう思いますよ。 でも、一度始めたら後戻りはできませんよ。 覚悟して下さい。」と何度も念を押してから世代間伝播について詳しく説明してくれたそうです。


2010年9月26日日曜日

仕事に集中できない (世代間伝播)

次回のセミナーは2週間後で、まだ空席があったので、すぐに申し込みました。 残り少ない貯金の事など全く気になりませんでした。 とにかく、母を憎み怨む醜い心を少しでもきれいにしたい、それだけしか考えられませんでした。
その日は一緒にセミナーを受講した人が夜行バスで帰るので、池袋まで送りに行ったために帰宅がかなり遅くなっていました。
翌日、いつもと同じように現場へ向かい仕事をしましたが、珍しく仕事に集中できませんでした。 自分で「天職」だと思うほど合っていました。 激しい雨が降りしきる中でカッパを被っての作業も、木枯らしが吹き荒ぶ真冬の作業も、真夏の熱く焼けてしまった日陰のない金属屋根の上の作業も、それほど苦とは思いませんでした。 むしろ、他の職人が嫌がってやらない作業でも淡々と続けられる事に誇りすら感じていました。 ですがこの日、心は昨日、一昨日のセミナー会場にありました。 醜い自分の内面が頭から離れず、母との関係改善は、水を求めて当て処もなく砂漠の中をさ迷っているかのような焦燥感と絶望感ががありました。
次のセミナーまでにできる事は少しでもしたいのですが、何をしていいのかも分からずに、もどかしく気の重いい2週間でした。

2010年9月25日土曜日

「もうちょっと遅れていたら危なかった」 (世代間伝播)

ようやく周りに馴染み始めた頃、私にY.G.塾を紹介して下さった気功の先生と、その先生を紹介してくれた友人が会場に駆けつけてくれました。 Y.S.先生は開口一番、「よく彼を紹介してくれたね、もうちょっと遅れていたら危なかった所だよ。」 「君にとっては命の恩人だよ。」と気功の先生と話しを始めました。 気功の先生によるとY.S.先生とは「協力関係」にあるそうで、これまでも多くの人をY.G.塾に紹介し、感謝されてきたそうです。 「電話で君の声を聞いたとき、『こりゃやばい』と思って、慌ててY.G.塾を紹介したんだよ。 でももう大丈夫だろう。」 との気功の先生の言葉に、「いや、彼はまだまだ沢山抱えているんだ。 1日も早くお母さんと和解しなくちゃならないんだよ。」
私の脇で話す二人の会話を聞いているうちに、私の意識は少しずつ現実に戻って来たようです。 そういえば半年ほど前から感情の余韻が少しずつ無くなっていたっけ、取り敢えずY.K.さんに連絡を取って、世代間伝播を少しでも解決に近づけなければならないな、そんな事を考え始めました。 感情の余韻が消えかけていた事を話題に出すと、「そうでしょう、心が死にかけていたんだもの。」と、よく分からないような返事が返ってきました。 電話でちょっと話しただけでそんな事が分かるのかなと不思議に思っていると、「真我に出会う事で、死にかけていた心が蘇ったんだよ。 もう暫く放っておいたら心が死んでいたよ。」「本当にぎりぎりのところだったよ。」と2人の先生に畳み掛けられ、何となくですが追い詰められた状態を認識し始め、ぞっとしてきました。
ただ一つ、嬉しかった事は、目が僅かですが澄んだ事です。 私は中学生の頃、自分の目に「精気」がなく、濁って見える事が気になって仕方ありませんでした。 決して物理的に「濁り」がある訳ではなく、どことなく「死んだ目」をしているのです。 鏡を見る度に「何でこんな目をしているんだろう」をため息をついていました。 それがセミナー修了後、トイレで鏡を見たとき、僅かですが目に輝きが出てきたのです。 今まで気になっていた目の「濁り」は心のゴミを映し出していたのでしょうか?


2010年9月24日金曜日

懇談会で (世代間伝播)

その日セミナー終了後、懇談会がありました。 セミナー中の私語や外部との連絡は一切禁止だった事と、受講後に気持ちが大きく変化したためでしょう、皆話に花が咲いていました。 Y.S.先生やスタッフの方々も話しに加わり、楽しいひとときです。 ですが私は一人でボーっとしていました。 自分のあまりの異常さに気づいたショックでまだ頭が混乱していたのです。
Y.S.先生はセミナー中に流す涙は悲しみの涙ではなく、真我に出会えた、本当の自分を知った喜びの涙であると説明して下さいましたが、自分の流した涙はどうしても「喜びの涙」とは思えませんでした。 第一、嬉しかったらこんなに苦しい思いをする訳ありません。 そして、嬉しそうに話している周りの人達が羨ましく思えました。 家族や友人の受講を祝って、花束やプレゼントも持ってくる人達も沢山参加して、真我に出会えた喜びを讃え合う会場の人達は、私には眩しすぎました。
そんな私に、スタッフの1人が話の輪の中へ誘って下さりました。 そこで始めて知ったのですが、私はかなり目立っていたようです。 始めから終わりまで泣き通しだったので、端から見ればかなり「ゴミ出し」をしたとでも映ったのでしょう、「あれだけ吐き出せば、すっきりしたでしょう。」と皆に尋ねられました。
隣の席に座っていた方を改めて紹介されたのですが、殆ど覚えていませんでした。 彼は自分の殻の中にこもり切ってしまい、感情を素直に出せずに悩んでいたそうで、「どうすれば、あんなに素直に泣けるのでしょう?」「泣き方に何かコツなどありませんか?」などと尋ねられるのですが、別に泣きたくて泣いている訳ではなく、勝手に涙が出てきて止まらないだけで、止められるものなら止めて、必要な作業に集中したいのです。 それにセミナー中に見えた自分の心は憎悪や怨念で満ちており、「真我」を求めている人達に助言できるような事は何一つありません。 素直に感情表現しているのではなく、「醜い己に戸惑っている」とでも言った方が正解で、私の方が逆に「どうすれば普通になれるのでしょう?」と尋ねたかったくらいです。 ですが、他の人達だって私には分からない悩みを抱え、私を羨ましいと思っているのですから、「隣の芝は青い」と言うやつでしょう。

2010年9月23日木曜日

第1歩で躓いた (世代間伝播)

セミナー第1日目が終了し、ホテルの個室へ移動しましたが、休む気にもなれません。 時間の許す限りゴミ出しを続けました。 セミナー中と同じで涙ばかりが溢れ出ても、「ごめんなさい」とは一言もかけません。 一風呂浴びて作業を続けている内にいつしか疲れ切って寝てしまいました。
翌日も同じ作業を続けましたが結果は昨日と同じです。 セミナー終了直前になってやっと一言だけ「お母さん、ごめんなさい」と書くことができました。 大げさに感じるかも知れませんが、私にとってはそれこそ全身全霊を傾けて自分の奥底に潜む何者かと闘い、やっと言えた一言でした。 他の受講者が「真我に目覚めと」とか「本当の自分に出会えた」とこれまでとは別人のようになって興奮気味に喜びを表現しているのとは対照的に、たった一言「ごめんなさい」と言うことのみに2日間の総てを費やさねばならない自分の「異常さ」を嫌と言うほど思い知らされてしまいました。
セミナーの最後に受講者が1人1人感想を発表しました。 何を言っていいか分からないほどボーッとしており、「泣き疲れました」としか言えなかった私に「君はお母さんとの関係を改善できなければ、これから先の君の人生がどうにもならないことはよく分かったでしょ。 一刻も早く解決しなきゃ駄目だよ。」と穏和なY.S.先生がかなり強い口調で助言を下さいました。
Y.S.先生の言葉に我に返り、母に対するマイナスの感情が、私のこれまでの「人間関係」に大きな影響を与えてきたことにやっと気付きました。 私達人間にとって一番初めに築く人間関係であり、人間関係の基本とも言えるものが母との関係なのに、私はそこで大きく躓き、そのまま成長してしまったのです。 「人間関係」が悪いのは当然だと痛感しました。
心理学的には母親像が個々人の「女性像」に最も大きな影響を与えるそうですが、実の母親に対するイメージがここまで悪くては、私にとっての「女性」とは「憎しみ」の対象でしかないはずです。 女性もそんな事をどこかで「感じ取る」から避けられてしまうのでしょう。 事実、私は「女性」とのいい人間関係を築くことは殆どできませんでしたし、当時36歳だった私は結婚どころか、交際する彼女すらいたことがありません。 今のままではこの先も彼女はできないなと考えると、惨めさも加わり遣り切れなさで一杯になりました。

2010年9月22日水曜日

母との関係 (世代間伝播)

ですがどうしても合点がいきません。 私は母から、母をここまで恨まなければならないようなことをされてはいないのです。 確かに折り合いは悪かったです。 母は私のやることなすこと全てにヒステリックに干渉してきました。 根っからの心配性で物事をマイナスに考え勝ちでした。 どこをどう考えるとそんな結論になるのか、「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも」ではありませんが全ては私が悪いという結論に達するのです。 そして取り乱しながら人格まで否定してくることが日常茶飯事でした。 あまりに度を過ぎると父がたしなめましたが、そうすると「2人で連んで私を悪者にしていると」いじけててしまい手が付けられません。 でももしここまでされなけば、私だって家を出たりははせず家業を継いでいたはずです。 当時の私は母をは「ノイローゼ」だから、精神科治療が必要だと真剣に思っていましたし、最近になって知ったことですが、母は友人に対しても同様の傾向があるようす。 要は常に「悪者」を作り、その人を責めることで自分のアイデンティティーを保っているのかも知れません。 父は常にそんな母を黙って見守っていました。
そんなことを思い出しながら私は黙々と「ゴミ出し」を続けました。 でもそれらはここまで母を恨み、憎む理由としては明らかに不充分です。 家族を理由もなく殺されたとか、何世代も紛争を続けている「敵」でもなければ、ここまで人を恨み憎むことはできないはずです。 それを私は実の母親に対してしているのです。 たった一言、嘘の「ごめんなさい」を口にすることも紙に書きだすことすらもできないのです。 そんな自分自身が情けなかったですし、言おうとすればするほど心の奥底ではそれを拒むこの葛藤はこれまで経験した事がない、例えようのない辛く苦しいものでした。 「人間として失格だ」そんな思いで頭の中が一杯になってきました。

2010年9月21日火曜日

世代間伝播 (世代間伝播)

知人のY.K.さんがたまたま「世代間伝播」の問題に取り組んでいたからです。 当時、「幼児虐待」が話題に上がるようになってきましたが、肉体的「虐待」以外にも、言葉による「虐待」や性的「虐待」など様々な形があり、そのトラウマは親から子へ、子から孫へと代々続く性質のものであると聞かされていました。 親子の愛情を歪んだ形で受けながら育った子は、成長しても正常な愛情表現方法をしらず、「自分の子には同じ思いをさせまい。」と固く誓えば誓うほど、自分が自分の親から受けた愛情表現を自分の子供にもしてしまう、悲劇の連鎖です。 最近では幼児虐待をしてしまう母親が我が子への「虐待」を止められず、愛すれば愛するほど「虐待」がエスカレートしてしまう告白を目にする機会も増えましたし、この類のトラウマを負って成長した人達の問題を「アダルトチルドレン」と広く捉えて扱うようになってきました。 又、ネット上では「世代間連鎖」で検索をかけた方が数多くヒットするようでし、「世代間伝達」とも言われているようです。 ですがこの当時、Y.K.さんが必死に取り組んでいたにも関わらず、私には所詮他人事でしかありませんでした。 いくら彼女とその母親の間の確執を聞かされても、「実感」が伴わないので「同情」の域を出ることができなかったのです。 「先日、私から母を誘って喫茶店でゆっくり話ができるようになったのよ。」と嬉しそうに話すその声の裏には当人以外には決して分からない様々な辛い思いがあったはずですが、あくまでも私の勝手な想像でしかなかったのです。 その勝手な想像上の出来事が突然、現実となって私を責め立て始めたのです。

2010年9月20日月曜日

母を恨み憎んでいる (世代間伝播)

セミナーが進むにつれ、私は自分がいかに実の母を恨み、憎んでいるのかが次第に分かってきました。 ここまで母を憎んでいながら、傷害沙汰等に到らなかったことが不幸中の幸いだったと思えてきました。 もう、先程の「真我」に出会えた感動などどこかへ消し飛んでしまいました。 いくら折り合いが悪いからと言って、実の母をここまで憎んでいる自分自身に大きなショックを受けました。 何とかして一言でいいから「ごめんなさい」と紙に書こうと鉛筆を握りしめるのですが、書こうとすればするほど苦しくなるのです。 Y.S.先生から様々なアドバイスを受けながら自分の心を深く掘り下げていきましたが、掘れども掘れども出てくるのは「恨み、憎しみ、悲しみ、嫌悪」と「涙」ばかりです。 自分でも自分のことを「変わっている」とは思っていましたが、まさかここまで「異常」だとは思っていませんでした。
振り返ってみると、母は自分の母、私から見れば祖母を非常に恨んでいました。 幼い頃に祖母の悪口を散々聞かされました。 台所で食事の支度をしながら、「大嫌いだ」「死んじまえ」と祖母に対する恨みを呟いている母の後ろ姿は、子供心にも近寄り難いものでしたし、まるで胸を刃物で抉られるような恐ろしさを感じる事も度々ありました。 それはまるで、決して触れてはいけない「封印」ような禍々しさを帯び、言葉では表現のしようがないショックを受けていました。 以前から私はそういった負の感情面を何らかの形で母から引き継いでいるのではないかと感じてはいました。

2010年9月18日土曜日

「ごめんなさい」の一言 (世代間伝播)

ゴミ出し作業を始めて間もなく、父に対しては素直に「ごめんなさい」と謝れました。 これまで自分がとってきた行動がどれだけ父を傷つけ、悩ませてきたかが頭ではなく「身体」の芯から、「心」の底から体感できたのです。 そして「ありがとう」と心の底から感謝できました。 なんて素晴らしい父の元に生まれてきたのか、なんて「ありがたいこと」なのだろうという実感が溢れるように湧きだして涙が止まりませんでした。 何故一番身近な人のありがたさをこれまで分からなかったのか、私は何て幸せな星の下に生まれたのだろうという喩えようのない思いで全身が打ち震えます。 「これが真我なのか」と思うと、受講者が「どう説明していいか分からない」と異口同音に言う訳が分かりました。 言葉ではなく全身、いやむしろ「魂」で感じる世界です。 そんな世界が自分の中に存在しているのです。 Y.S.先生が「求めても見つかりませんよ。 外にあるんじゃなくて元々私達の中にあるんですから。」とセミナーで言われていた分かったような分からないような言葉の意味も分かりました。 続いて母でも同じ作業を行いました。
ですが母に対してのゴミ出しは、「不平、不満」を書き出していくうちにが「恨み辛み」に変わってしまい、どうしても「ごめんなさい」の一言が書けませんでした。
「嘘でもいいから『ごめんなさい』と書いてごらん」
と言われても、そのたった一言のを私の心が激しく拒むのです。 自分でも不思議でした。 父は「建築板金」の職人で、私も父の後を継ぐつもりで仕事を覚えましたが、母との折り合いがとても悪くて我慢できずに家を出てしまったほどです。 ですが母との間には、幼児虐待を受けたとか、何か大きなわだかまりになるような出来事があったわけではありません。 何故、父と母に対する思いがここまで異なるのでしょう?

2010年9月17日金曜日

ゴミ出し (世代間伝播)

参加して最初に思った事は「正直言って変なセミナーだな」でした。 最初のうちはY.S.先生の講義と参加者の発言、それから無地の便箋に鉛筆で「腹の立つこと、面白くないこと、嫌なこと、辛いこと」といった「心の中のゴミ」を書き出す作業へと移ります。 自分の心の中にあるゴミを出して行き、「お父さん、ごめんなさい」「お母さん、ごめんなさい」と心の底から両親に自分の過去の過ちを詫び、それを紙に書きだすのです。
塾長との面談の際、無料セミナーの際にも説明があった心の三層構造ですが、最下層の「真我」が本当の自分、中層の「ゴミ」が一般に言われる「潜在意識」で「カルマ」「トラウマ」「感情」などはここに、最上層の「蓋」が「頭」であり、「顕在意識」であり、「知識」「理性」「思考」「観念」などがここに分類されるそうです。 真我に出会うには、ゴミを押さえ込んでいる「蓋」を外し、ゴミを捨てながら心の深層へと「掘り進む」作業が必要になり、「真我」を体感した事がない者にとって両親の「愛」とは「真我」に最も近いものなので、それを感じる事が真我に出会う最短コースになるそうです。 そして残念な事に私はこの「カルマ」「トラウマ」といった「ゴミ」の類が普通よりも遙かに多いようです。 特に「母」に対してのゴミはY.S.塾長も驚くほど根の深いものでした。

2010年9月16日木曜日

受講してみようかな (世代間伝播)

胃の痛みは続いていましたし、疑問が解消した訳ではありませんが、ここで私はようやく気持ちに余裕ができたのでしょう、周囲の参加者の顔を見回しました。 そしてちょっと唖然としました。 皆、「迷い」を持っている人達ばかりなのです。 まるでどこかの新興宗教団体の集会にでも勧誘され、講話を聞かされているような錯覚に陥りました。 ただ、その中に一人、目映いほどの光を放つ、美しい女性がいました。 驚きのあまり、暫くの間見とれてしまいました。 美人でしたが、その外見に見とれたのではありません。 まるで後光が差しているようにその女性の周りだけが輝いて見えたのです。 正直、これほど人が眩しく映った事はこれまでありませんでした。
Y.S.先生の質疑応答が終わると、セミナー受講者の体験発表があり、彼女も自ら進んで発表しました。 亡くなった父親との間に壮絶な確執があり、父親が亡くなった後も彼女の人生に大きな影響を及ぼしていたそうです。 そしてセミナー受講中に父親の「ごめん」という声を聞き、総てを許せたのだそうです。 今までだったら間違いなく「うさんくさい」とか「サクラ」じゃないかと疑っていたはずの私が、何故か逆に胸を強く打たれました。 自分でも驚くほど素直に彼女の話を受け入れたのです。 そして、「受講してこんなふうに変われる可能性があるのなら、参加してみたい。」 そんな気持が湧いてきました。 「直前でキャンセルすればいいや」と全く関心のないセミナーだったはうですが、涙ながらに話す彼女の姿を見て体験談を聞いているうちに、私は受講を決意していました。

2010年9月15日水曜日

「もう始まっているのです。」 (世代間伝播)

無料セミナーは主に「真我開発セミナー」への参加を迷っている人を対象に行われていたので、参加者の大部分はセミナーに対する疑問や不安を抱えており、その不安や抱えている悩みが表情にも質問の声にもはっきりと表れていましたす。 参加者からの質問が一段落する頃合いを見計らって、私はY.S.先生に胃痛のことを尋ねました。
Y.S.先生の答は
「もう始まっているのです。 先ほど私と話をしたことで、あなたの中にある悪いものが外に出始めたのです。 セミナーに参加すれば、それが何だか分かりますよ。」
というものでした。 正直言って分かったような分からないような答でしたが、「好転反応」の一種だと考えると納得できない訳でもありませんでした。 
後で詳しく述べようと思いますが、私は身体が丈夫な方ではなく、様々な健康法を試しました。 わずかな経験からですがはっきりと言える事は、「好転反応のないものはあまり効果がない」ということです。 その逆に、好転反応が激しいものはたとえどんなに辛くとも、好転反応の期間を過ぎれば、それまで悩まされた症状がかなり改善されるのです。 もしかしたら、このY.G.塾は私が未だ気づいていないが「良くないもの」を表面化し、人生を好転させる何かがあるのかも知れないと、かすかな期待を感じたのです。

2010年9月14日火曜日

突然の胃痛 (世代間伝播)

その日の夜、行われる「真我」についての無料セミナーへの参加も勧められました。 開講までの約3時間を近くの喫茶店で過ごすことにしました。 漫画を読みながらコーヒーを口にしていると突然、胃が痛み出し、漫画を読むどころかコーヒーを飲むことすらできなくなってしまいました。 急いで帰って休みたいところですが、帰宅するまでには地下鉄を乗り継いで1時間以上かかりますし、歩くのも辛いほど激しい痛みです。 その上頭の中は今会ったばかりのY.S.先生のことばかり浮かんできます。 「これはY.S.先生と何か関係があるな」と直感的に感じました。 それらしい理由は何もありませんでしたが、「確信」に近いものがありました。 その「確信」の理由を見つけたくて、痛む鳩尾を押さえながら、開講よりかなり早めにセミナー会場へ向かいました。

2010年9月13日月曜日

そんなものかな (世代間伝播)

「そんなものかな?」程度に思いました。 ですが、別に「真我」に興味があって面接に来た訳でも「本当の自分」に会いたい訳でもなく、ただ友人の顔を立てて気功を習えるようにするために来ただけです。 20歳前に「成功法則」に興味を持ち、随分読みあさりました。 又、当時はMK社の成功法則通信講座も受けていました。 ですから全く興味がない訳でもありませんが、あえて受講料を払ってまで「真我」に出会いたいと思えるほど、気を引くものはなかったのです。
「何か質問はありますか?」
Y.S.塾長にそう尋ねられても「いえ、何もありません」
としか答えようがありませんでした。 今考えればあの時私の感情はかなり「麻痺」していたのだと思います。
Y.S.先生との話が一通り終わるとお約束通りセミナーへの参加を勧められました。 一回16万5千円と非常に高額なことに驚きましたが、
「嫌ならいつでもキャンセルすればいいから」
と言われ、費用は当日払いということだったので、申込用紙に記入だけはしましたが、適当な理由をつけて前日にキャンセルするつもりでした。
塾長はこの私塾を開く前、「伝説の営業」と言われるほど天才的な営業マンだったそうで、そんな人を相手に抵抗した所で丸め込まれてしまうのがオチです。 「雄弁は銀なり、沈黙は金なり」で、弁の立つ人には無駄な抵抗をせず、無言でキャンセルした方がいいと思ったのです。


2010年9月11日土曜日

気功を習いたいのに・・・ (世代間伝播)

その当時私は気功に興味があったのですが、仕事で時間の都合が付かなかったために習うことができませんでした。 そんな私に、気功を使えるが特に教室などは開いていないので都合に合わせて教えて下さると言って下さる方を友人が紹介してくれました。 私は早速連絡を取りました。 友人からはかなりの力を持っている方だと聞いていたので楽しみでした。
ですがその方は、私が挨拶を済ますなり、気功の「気」の字も口にせずに「Y.G.塾」という私塾の連絡先を私に伝え、「すぐにここに連絡を取りなさい。 私の紹介だと言えば分かるから。」と強い口調で指示され、電話を切られました。 最初はどこかお勧めの「気功教室」を紹介して下さったのかなと思いましたが、どうもそうではありません。 一体この私塾は気功とどういう関係があるのだろうと、かなり不満でしたが、「一通り言われたことをやってからでないと気功を教えてもらえないだろうから」と自分をなだめ、気功とは全く関係のなさそうな「Y.G.塾」に連絡を取り、塾長と面会する予約を入れました。
数日後に塾長のY.S.先生という方と2~30分ほどお話しをさせて頂きました。 話の内容は人間の「心」とはどういうものかを三層構造で分かりやすく説明したものです。 精神分析学や成功法則で言われている「表層意識」「無意識」のさらに奥に「真我」と呼ばれる本当の自分が存在し、ここに至ることを宗教では「悟り」といい、Y.G.塾の「真我開発セミナー」は一泊二日でこの真我を「体感」できるのだというものでした。

2010年9月10日金曜日

「感情」の余韻が (世代間伝播)

1999年12月頃だったと記憶しています。 ある日突然、違和感を覚えました。 最初のうちはその「違和感」が何に対してのものなのか全く解りませんでしたが、そのうちに自分の「感情」が消えかかっていることに気付きました。 私達が怒ったり、悲しんだり、喜んだりした際、その「余韻」というものが暫くの間続くと思います。 その「余韻」は徐々に薄らいでいきますが、心に深く刻まれたり、影響を与えたりしたものほど長く続くはずです。 丁度、ピンと張ったゴムや弦を弾いたときのように、弾いた直後の振動が最大で、その振幅が時間と共に小さくなってゆくようなものです。 大きく弾けば振幅が大きく、長く振動しています。 逆に小さく弾けば振幅も小さく、振動している時間も短くなります。 私に起きた変化とは、この弾いた弦を急に指でつまんだかのように、感情の「余韻」が急に消えてしまうことでした。
私はこれまで、こんな事を口にしている人に会ったことはありませんし、本でも読んだことはありません。 気にはなるのですが、日常生活に支障はなく、また具体的にどうしてよいかも分からず、そのまま半年近くが経過してしまいました。


2010年9月9日木曜日

もしかして・・・ (世代間伝播)

最初に覚えた違和感は「悲しさ」でした。 それもこれまで感じた事がないほど強い悲しみなのですが、 一体何に対してして悲しいのか全く分かりませんでした。 ただひたすら「悲しい」、それも胸に「突き上げる」ような激しい「悲しさ」でした。
何故理由らしい理由もないのにこれほど悲しくて仕方がないのか、戸惑いました。 そしてその悲しみは日増しに強くなってきます。 私の脳裏に「もしかしたら・・・」とある一つの出来事がよぎりました。 1999年12月頃から約1年間に経験した出来事の数々です。 自分ではそれらはほぼ解決したつもりでしたが、まだ心に引っかかっている部分がいくつかあります。  解決したつもりであっただけで実は解決していなかったのか、未解決の部分が表に現れたのか、はっきりとわかりません。 ですがどうしても無関係とも思えませんでした。
私は2001年1月31日からタイで生活を始めました。 その約1年前、1999年末から私の身に起きた出来事は今でも「夢を見ていた」ような気がします。 その出来事の中に、自分がおかしくなった原因、又は原因に関係していると思われる出来事が多々あります。 自分で経験した事なのですが、私の拙い表現力では上手く書けずに、だらだらと長い文章になってしまいますが、取り敢えず振り返ってみたいと思います。