2012年2月26日日曜日

仏像(ソムデットオンパトム)建立 8 (タイ上座仏教)

   最初の2枚は2011年年4月9日(土)に撮影したものです。
   ソンクラン休暇の直前なので、追込みをかけている(はず?)ところです。
   この日は本当は出社日なのですが、「新しい就職先を探す」という理由で仕事を休み、いつものように前日の夜からここに来ています。

「追込み」の筈なのに人影の少ない現場
   いつもと角度を変えて、裏山から撮影してみました。 こういうときにはズーム付のデジカメが欲しくなります。 でも失業を目前にして、そんな悠長な事も言ってられません。 生活に余裕が出るまでは iPhone3GSのおまけカメラで我慢です。

床を打設するための準備に入ってます
   正面右半分の床を打設する準備をしているのですが、日本のように梁と床が一体化していません(柱と壁だって一体化していませんが・・・)。 心細い限りです。
   それに、どう見ても床の打設はソンクラン休暇前にはできそうにありません。 第一、「工程表」すら作成せずに「12月5日までには間に合いますよ」を胸を張っていますが、どこまで信用したらよいものやら。 日本なら追込みをかけて何が何でも決まりを付ける所ですが、そんな事は望めそうにもありません。


誰もいない「ソンクラン休暇中」の現場
   残りは4月14日(木)に撮影したものです。 コンパネを平積みしたまま養生すらしていません。 強い日射しに1週間も晒されれば、思いっきり反り返ってしまいますし、風を受ければ飛んでしまう可能性もあります。 それで誰か怪我をしても「運が悪かった」で済ませてしまうのでしょうか?
工事が先行している正面左半分
   現場を眺めているうちに気付いたのですが、ソンクラン休暇の直前に 床スラブを打設してしまったら、毎日撒水する人がいないので、コンクリートの表面だけが急速に乾燥してしまい、内部との水分率の差が大きくなってクラックを起こしてしまいます。 休暇前にコンクリートの打設を行ってはいけないのです。
見れば見るほど不安になる梁接合部
   継ぎ接ぎだらけの梁を見ていると、実際の耐荷重はいくらなのか心配になってきます。 梁・床一体打設が懐かしく思い出されます。
日射しが眩しい床仮枠組
   ビティ(建枠)の柱から細い受棒が伸びて角パイプを支えています。 その角パイプが組んだ単管を支えています。 組んだ単管がコンパネを受けています。 梁とコンパネの間の隙間が大きいので、日射しが眩しく感じます。
何か理由があって隙間を空けているみたいです
   コンパネ同士も大きな隙間があります。 よく見るとどこもこれ位の隙間が空いていますから、「ゆるみ」なのかも知れません。 コンパネ自体の伸縮が大きいのでしょうか?
「瞑想中」に天井が落ちてきませんように・・・
   2階部は「蓮華台」になります。 「蓮華台」の中は「物置」にするそうです。「部屋」を作ろうと思えば作れるのですが、メーチーは部屋にする気はないそうです。楕円形の部屋で、長径が15m以上あったはずです。 「もったいない」と思うのは、いつも狭い部屋に暮らしているので骨の髄まで「貧乏人根性」が染みついているからかも知れません。
「ベース」になる日を待ちわびる柱の上の鉄筋
   ソンクラン明け早々に、正面左半分の床スラブ打設が始まります。 そうなると、「建物」らしく見えるはずです。 柱の上に伸びている鉄筋は、「仏像本体」の柱を受ける「ベース」になりますから、未だ暫く先の事になります。
   柱の上に伸びている鉄筋が「早くベースになりたい」と待ち焦がれているような気がしたのは、夕日のせいでしょうか。


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2012年2月22日水曜日

仏像(ソムデットオンパトム)建立 7 (タイ上座仏教)

   2011年4月1日(金)、いつものように終業と同時にバイクタクシーでワゴンバス発着所に向かい、そこから「小さなお寺」へやって来ました。 この写真は翌朝の2日に撮影したものです。 私はこの頃、土日が休みだと、ここへ遊びに来ていました。

右半分の梁を作る準備が進んでいます。
   ここに来たからといって、別に何をする訳ではありません。 何もせずにのんびりしているだけです。 福島第一原発事故に対する激しい「怒り」の持って行き場がないので、腹を立てれば立てるほど、その「怒り」がそのまま私に返ってくるので、私は以前のように精神的に不安定になってしまい、自分でコントロールができなくなってしまいました。
ここだけ見ると、少しは片付けているように見えます。
   ネットにさえ接続しなければ、日本の情報は殆ど入って来ないのですから、せっかく良くなった症状を再び悪化させることもないのは分かっているのですが、日本の状況が気になってひかたがありませんでした。 携帯片手に電波状態のよい場所を探し、ノートパソコンを開いネット接続してしまいます。
   例え低くても山の麓ですから、電波状態はとても不安定で、データ通信はおろか、電話すらよく聞こえなかったり、通話中に切れてしまったりします。 
でも、ばらした型枠は片付けていません。
こちらをきちんと片付ける事の方が大事なんですけれどね。
   この土地を寄進した、元ドリアン果樹園のオーナーの話によると、不思議な事に、ただ1ヶ所、ソムデットオンパトムの建立地点だけは約25年前の「ショルダーホン」の時代から辛うじてですが通話が途切れなかったそうです。 当時、この場所から一番近い電波塔でも電波がまともに届かない位に距離が離れていたそうです。毎朝市が立つ街まで出て行っても、近くには電波塔がないのですから、やはり電話は通じなかったそうです。
放り投げていたら1ヶ所に「集まった」だけです。
   元オーナーは当時、かなり大きな会社のオーナーでもあったので、「別荘地」を購入する絶対条件がショルダーホンで通話が出来る事でした。電話会社で電波塔の位置を確認して、通話できそうな場所の目星を付けて、あちこちの土地を探し回っていたそうです。 ここは電話会社からも「通話の出来ない地域」と教えられていたのですが、知人の紹介でたまたま訪れたそうです。
   所が、何度来てもこの1ヶ所、半径10m程度の狭い場所だけは、安定したショルダーホン通話ができたのだそうです。 もっと電波塔に近くても、電波が不安定な場所ばかりだったので、迷わずこの土地を購入したそうです。
ビティ(建枠)もぶん投げられています。
   土地の寄進を受け、この地に「研鑽所」を作ると決めたとき、メーチーは敷地内をぐるりと廻ったそうです。 そして立ち止まって、「ここに仏像を建立する」と一緒に敷地内を歩いている人達に言ったそうです。 元オーナーは、「何で、ここが電波状態のよい場所だと知っているのだろう?」と益々不思議に感じたそうです。
作業場所の直ぐ隣に釘が刺さったままの材木が散乱しています。
   ですから私は、この仏像建立地点の近くで、作業の邪魔にならない場所をうろうろしてはネットサーフィンをしていたことになります。 「気を落ち着かせる」ためにここに来ているのに、精神的に不安定になることをしていた訳で、この自己矛盾が余計に私を不安定にさせてました。
梁の配筋を土の上に野晒しにして置いたら、錆びてしまいます。
   4月に入ると「日射し」に圧力を感じてしまう程の暑さになります。 いくら土の上とはいえ、雨が降らないので目が回りそうです。 ただ、そよ風も吹くので、その瞬間はホッとさせられます。 そして日が沈むととても過ごしやすくなります。 私は、例え暑くても、ここまで「過ごしやすい」と感じさせる場所を他に知りません。
こちらは正面左側。
1階部、2階部の平面図は楕円形です。
   それにしても、散らかった作業現場です。 コンクリートを流し込むための「型枠」を組み、コンクリートが固まればばらす事の繰り返しになりますが、ばらした木材に打ち込んである「釘」を抜かないでそこいら辺にぶん投げてあるのです。 注意しないと釘を踏み抜く怖れがあります。
R部は思っていたよりはきちんとできているようです。
   釘を踏み抜いてしまうと「破傷風」にかかる可能性がとても高いので、日本ではその場で傷口を金槌などで叩いて血を流し、釘に付いていた泥などを体外に排出してから病院に連れて行きます。 使っている釘は真っ赤に錆びているし、土の上なのですから、「破傷風菌」がうじゃうじゃいそうです。
ビティ(建枠)の部品。
   それでも大きな材木はおおまかですが1ヶ所にまとめてありますし、目に付くのだからまあよしとして、釘が刺さったままの小さな木片はあちこちに散乱しています。 私は万が一の事がないように、目に付いたものは片付けていますが、それを見ているタイ人は「あいつ、何であんなゴミを片付けてるんだ?」と不思議そうな顔をしています。
金属製型枠。 どれも形が思い切り歪んでいます。
こんなものを使って、ちゃんと建築物が造れるのか、逆に興味が湧いてきます。
   「不注意」な上、よく見ると危険があちこちに潜んでいる現場。 その割に事故が発生しませんから、この人達は余程「幸運」なのだと思います。
   タイ人によれば、「功徳」をすればするほど、「幸運」に恵まれるのだそうです。 仏像の建立も「功徳」の一つだそうですから、この現場の職人はかなり徳を積んだ人達という事になります。
   ちなみに、2011年4月7日にアップした「ゴム栽培 1」に使用した写真は、この日撮影したものです。



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2012年2月15日水曜日

海岸 1 (タイの日常生活)

 前回の記事「ラックムアン」の続きです。

 「ラックムアン」の参拝を終え、帰りに海岸に寄りました。 以前 書いた記事「誰もいない海〜♪」で遊びに行った海岸です。

 ここに行くと必ず写真の「榕樹(ガジュマル)」の木陰にゴザを引いてくつろぎます。 小さな海岸で、どう見てもこの木の下が一番いい場所だと思うのですが、私達が来るときにはいつも空いています。 岩場の間に3〜400mほど砂浜があり、この木はその斜め正面に立っています。

「国」の管理地なので、この海岸は海水がきれいです

 榕樹は日本でも屋久島や沖縄にあるそうで、沖縄ではキジムナーという精霊が棲む木と伝えられているそうです。 クワ科イチジク属の常緑樹なので、いつも小鳥が実を食べに来ています。 また、「ベンジャミン」という観葉植物はこの木の近種で、かなり高く成長するそうです。 榕樹をタイ語では「トン サイ」と呼びます。


「榕樹(ガジュマル)」は菩提樹と並ぶ神聖な木

 ゴータマ・シッタールダが大悟されたのが菩提樹(トン ポー)の下だったためタイではとても神聖視され、榕樹は精霊や神が宿る木とされています。 「ロム ポー、ロム サイ (菩提樹の樹陰、ガジュマルの樹陰)」という言葉は「頼るべき所」という意味だそうです。


韓国の「揚げ海苔」はタイでもよく売れていますが
この日の「揚げ海苔」はとても不味かった

 タイ人は何処へ出かけるにも食べ物、御菓子、飲み物をこれでもか持って行き、車の中や行き先でワイワイやりながら飲み食いするのが大好きです。 ここ数年、タイでは韓国の「揚げ海苔」が人気で、色々な会社から発売されています。 私も好きですが、この日の「揚げ海苔」はいただけませんでした。 安っぽい包装にこれでもかと化学調味料が使ってあり、まるっきり「駄菓子」です。


違うメーカーだけど値段と「不味さ」はいい勝負
こちらの方が僅かに化学調味料がきつく感じました

 以前は日本の「味付け海苔」も人気があったのですが、その座を完全に「揚げ海苔」に奪われた感じです。 「味付け海苔」をご飯と一緒に食べずに、封を切ってそのまま1枚ずつ食べる姿は、慣れるまではちっと「???」でした。


バイクでやって来た「宝くじ売り」

 「こんな所にまで売りに来るのかい!?」と思わせる「宝くじ売り」の登場です。 毎月、1日と16日の午後には宝くじの当選発表会があり、その直前まで売り歩いています。 タイ人は本当に宝くじ好きで、「○○番ある?」と売り子が来る度に目を皿のようにして自分が欲しい番号を探しています。 宝くじの「予想屋」や「予想雑誌」まであるくらいで、ちょっとあきれてしまいます。


 帰路、またドリアン果樹園に寄りました。以前アップした記事「ドリアン果樹園」はこの日(2011年3月26日)ではなく、別の日(2011年4月9日)に撮影したものです。



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2012年2月11日土曜日

ラックムアン (タイ上座仏教)

 2011年3月25日(金)、又、小さなお寺にやってきました。 写真は翌日26日に撮影したものです。 前回来てから1週間しか経っていませんから、殆ど変化はありません。

先週から殆ど進んでいない現場


 それでも正面から見て左半分は梯子状の「梁受け」を渡し終え、鉄筋と仮枠を組み始めています。
 「何故、半分だけしか作業を進めないの?」
 と思うかもしれません。 実はビティ(建枠)も作業員も数が充分ではないので、片半分を先行させているのですが、お世辞にも「作業能率」がいいとは思えません。


正面左半分だけ作業を先行
 5月になれば、雨が降るようになります。 平らな場所を作り、余った生コンを計画的に捨ててゆけば、ぬかるまない「作業場」になるはずなのですが、そんな先の事までは考えないようです。 生コンの量もキチンと計算できないようで、バカみたいに余らせる事があります。


余った生コンを所構わず捨ててしまいます
 この日は「ラックムアン」に参拝に行きました。 かつての統治者が街の「中心地」として定めた場所をこう呼び、現在の県庁所在地の大部分と歴史のある市には「ラックムアン」が存在しているそうです。 又、この「ラックムアン」を作った統治者を「チャオポー・ラックムアン」と呼ぶそうです。


日本流に言えば「御神木」に相当するようです


 ただ、「ラックムアン」はお寺でなく、バラモン教の儀式に則って作られるものですから、ブログテーマの「タイ上座仏教」からはちょっと外れているのかも知れません。
 ですが、ゴータマ・シッタールダが大悟された際、この真理は人間には理解できるものではないと布教を諦めたそうです。 そこへバラモン教の創造神ブラフマンが現れ、布教を懇願された事が仏教の始まりという事になっていますし、バラモン教の神々も釈迦を尊敬しているそうですから「よし」とするか、民間信仰や他宗教の神々も抵抗なく受け入れてしまう寛容さと捉えて眼をつぶって下さい。

お参りに来ている人が結構いました。


 「ラックムアン」の直ぐ側には「タキアン・クー」と呼ばれる大きな樹があり、参拝している人が多数いました。 幹の根元を眼の高さで撮りたかったのです、人が絶えないので無理でした。
 皆、手を合わせ終わるとさっさと「ラックムアン」に行ってしまうので、由来を説明している立看板を読む事はできませんでした。


その名も「タキヤン・クー」 由来を書いた立看板が読みたかった。


 私事ですが、この前の年(2010年)の後半から、私の所属会社と派遣先会社の間で諍いが起き、雇用契約が打ち切られる事になりましたが、所属会社は新しい派遣先を見つける事ができませんでした。
 1~2月中は解約の時期について交渉する段階に入ったので、私は就職活動として人材派遣会社へ登録する為に休暇を申請したのですが、派遣先の次長からは「まだどうなるか分からないからもう少し様子を見てくれ。」と言われ、特に就職活動をしませんでした。


こちらは「サーンチャオ・ルアム」


 結局、雇用契約は4月末で解約になり、私は失業してしまいました。 「ラックムアン」に参拝に行ったのは、失業の約1ヶ月前の事になります。
 一番困ったのは「就労ビザ」「労働許可証」です。 どちらも所属会社から発行されていましたが、新たな派遣先がありません。 新たな就職先を見つけるまでの2〜3ヶ月間、給料は出せないけれど、会社に籍だけは置かせてもらう事で一段落しました。


バラモン教と中国の神様を一緒に祀っているので
「ルアム(混ぜる)」と呼ぶような気がします


 次に困ったのは「アパート」です。 当時は派遣先会社の寮に住んでいましたが物がとても多かったので、引越するのがとても大変です。 寮の決まりでは、雇用契約が解約された段階で寮を出なくてはなりませんので、直ぐに「アパート」を探して引っ越す必要があります。 もし新しい就職先が見つかれば、通勤に便利な場所にある「アパート」へ再度引越しなくてはなりませんし、費用も馬鹿になりません。 当時の貯金は10万バーツちょっとしかありませんでしたから、僅かな出費でも大きな痛手です。


一際派手な祠


 派遣先会社と何度も話し合い、「黙認」という形で2〜3ヶ月、寮に住み続ける事になりました。 直ぐにでも新たな就職先を決めて気持ちを入れ替え、生活を安定させたい所ですが、鬱病にかかってから集中力が極端に落ちてしまい、15〜20分も翻訳をすると頭がボーッとしてしまうし、1日経つと前の日の事ですら記憶が曖昧になってしまうので、その場で記録に残しておいた事以外はあてにできません。 3〜7日も経過すると殆ど何も思い出せないので、まともに働いてゆく自信がありませんでした。


祠の大きさに比べ、賽銭箱はとても大きい


 更に、3月11日の東日本大震災の影響もあって先行き不透明な状態の中、日系企業は一時的に雇用を見合わせている時期でもありました。
 どうしたらいいのだろうと途方に暮れているうちに、「失業」が目前まで迫ってきました。 この辺りの事は後日詳しく書く予定です。


この金色の柱が「ラックムアン」だそうです


 何故この日、突然「ラックムアン」にやって来たのかといえば、信者の一人が「月例瞑想会」中に「チャオポー・ラックムアン」の姿が見えたので、一度、お参りに行った方がいだろうという事になったのです。

この街を開いた当時の「国王」だそうですが、今なら
「知事」ではなく「町長」「市長」レベルだと思います。


 「チャオポー・ラックムアン」は華僑系であったようで、ここは中国色が強い場所でした。  「タークシン大王」も華僑系でしたが、その事で悩み、晩年精神錯乱を起こした原因でもあるとされています。


「タークシン大王」ゆかりの地でもある


 この日初めて知ったのですが、ここはトンブリー王朝を開いた「タークシン大王」ゆかりの地でもあるそうです。 ビルマ軍侵入の際、一旦現在のラヨーンまで兵を引き、その後この地方を抑えて兵を整え、チャオプラヤー河口のトンブリーでビルマのトーンインを討ち、チャオプラヤーを遡ってアユタヤーに向かったのだそうです。


直ぐ隣には兵営があります


  そんな歴史的背景があるからでしょうか、隣には「タークシン駐屯所」という名の兵営があります。
 ちなみに日本では「タクシン」と表記される事もありますが、名前が「シン」で、ターク国の王だったので「タークシン」と呼ばれており、元首相のタクシン・チンナワットとは発音も綴りも異なります。

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 仏像(ソムデットオンパトム)建立 6


 美容院
 社員寮
 消えた大トカゲ
 

2012年2月8日水曜日

仏像(ソムデットオンパトム)建立 6 (タイ上座仏教)

 建設現場を一通り眺め終え、一息ついていると、派遣先会社の社員が数名やって来ました。木・金曜日で集計していた御布施金を納めに来たのです。
 これだけならば、ありふれた光景かもしれませんが、今日はそれだけではなく、「バウォンスワン」と言われる儀式も執り行ないます。 ですが、「バウォンスワン」とは何かと尋ねられると、私もよく解りません。

18日(金)、仕事が終わった時には
10万バーツちょっとの寄付金が集まっていました。

 私の知る限り、仏像を建てる場所は「人間」の都合で決めるものではないようです。 日本的に言えば「チャネリング」や「神降ろし」のように「神聖なるもの」との接触のなかで決められる事が多いようです。
 そんな「神聖なるもの」や「テープ・デーワダー(感覚的には日本の "八百万の神" に近い)」に対する「御披露目式」と言えば分かりやすいでしょうか。 ただ、作り終えてから執り行う訳ではなく、作り始める時に執り行う訳でもなく、「建設中」に行われのが一般的なようです。

その後更に御布施する人がいて、
合計額は11万バーツ以上でした。

 お寺側で行うのではなく、「私にさせて下さい」と、取り仕切る事を名乗り出る人がいれば、「バウォンスワン」は執り行われるようです。 この取り仕切る人を「チャオパープ」と呼びます。 今回のチャオパープは私の派遣先会社の有志で、私も名を連ねていました。 「連ねていました」というのも、チラシを配られて初めて、私も「チャオパープ」である事を知ったのです。

2011年1月21日(土)に蜜蝋で作ったスケールモデルに
彩色を施して納めに来たのは数日前の事だそうです。

 「だって、この中で一番熱心に通っているじゃない。 それに否定しないでしょ?」
 そうかも知れませんが、御布施を募るチラシに「発起人」の筆頭に名前を載せているのですから、一言断るべきじゃないでしょうか? タイに暮らしているとこんな事は日常茶飯事ですが・・・。
 「バウォンスワン」が行われると知ると、人が集まってきます。 特に告知もしていなかったのですが、数十名の人がやって来て、御布施の総額は20万バーツ近かった記憶があります。

バウォンスワンが終わった後で撮影した「仏陀降魔象」

 肝腎の「バウォンスワン」の写真がありません。 別に撮影を禁止している訳ではありません。 こういった「儀式」が執り行われている間、何故か私はいつも頭がボーッとして「放心状態」になったり、激しい目眩に襲われてしまい、自分が何をしているのかすら解らなくなってしまうのです。
 この辺は私がブログを書く動機の一つでもあるので、後日、詳しい記事を書くつもりです。

タイの仏像は大抵このような表情をしています。

 この「仏陀降魔象」の写真は、「バウォンスワン」が終わり、参加者も皆帰宅して、「小さなお寺」に静寂が戻った頃、私の意識もほぼ正常に戻ったので、境内を散歩しながら撮影したものです。

散らかっている建設現場。一番右の柱をよく見ると、
ビニールが巻き付けてあるのが解る。

 その翌朝、現場がまだ作業を始める前、今度は作業エリアに入って写真を撮りました。 釘が刺さったままの木材や資材が散乱しています。 日本では絶対に見られない光景です。

写真で見ると複雑な工事に見えますが、現場を見ると
柱も梁に使う鉄筋も細くて、頼りなく感じます。

 柱をよく見ると、ビニールが巻き付けてあります。 タイは気温が高いので、コンクリートが内部まで均一に固まらず、表面だけが急激に乾燥して割れてしまうのを防ぐ為です。 床を打設した際には麻袋を敷き詰めて定期的に水を撒いて表面の乾燥を防ぎます。

2012年2月5日日曜日

仏像(ソムデットオンパトム)建立 5 (タイ上座仏教)

 タイで暮らした事がある人なら分かると思いますが、タイの職場では封筒を持った人が社内を1人1人廻って寄付を募る事が珍しくありません。 「タムブン(功徳)」と呼ばれ、お寺の改修や仏像建立の場合が殆どです。 「良い事」をしているのに、日本人の中にはあまりいい顔をしない人がいる事を不思議がるタイ人もいます。 でも大抵の人は「日本人とタイ人は考え方が違うから」と理解しているようで、無理に勧めたりはしません。


 2011年3月17日(木)、当時の私の派遣先企業では昼休みを利用して、以前から 募っていた寄付金の集計を行われていました。 社員数は工員・事務員合わせると400人前後いましたから、例え一人が出す金額が小さくても、総額はかなり大きなものになるはずです。 写真に写っている男性の右腕の向こうに「チラシ」のようなものが見えます。


 小銭の先にある「チラシ」と同じもので、仏像(ソムデット オンパトム)建立の寄付を社内で募る為に有志が印刷したのです。 この会社には、私がよく行く「小さなお寺」にお参りに行く社員が結構いました。 私が行くようになったきっかけも、写真に写っている男性社員の紹介でした。


 集計は翌日も行われました。その日、仕事が終わるといつものように、バイクタクシーに乗ってワゴンバス発着所所まで向かいます。 2011年4月26日(火)の「ワゴンバス」は、この日撮った写真を使用して書いた記事です。


 いつものように到着したときにはこの「小さなお寺」は真っ暗ですから、翌朝(4月19日)、現場で写真を撮りました。 前回来たときから1ヶ月近く経ち、柱が立ち並んでいました。 何だか「ストーンサークル」みたいです。


 柱と柱の間にビティ(建枠)が並んでいます。柱の上に「梁」を架けるために梯子状の「支え」を作っている最中でした。 この「支え」の上で配筋をして、箱(型枠)を組み、中にコンクリートを流し込んで、完全に固まったら組んだ型枠を外せば、「梁」が出来上がります。


 3月に入るとタイは日に日に気温が上がって「夏」らしくなります。 頼りない細い柱を見ていると、沸々と湧いてくる不安すら「どうでもいいや」と思えてくるには充分過ぎる、耐え難い暑さです。 タイで10回目の夏を迎える私は、かなり「タイ化」しているようです。


 手前の布基礎だけ作って、柱が立っていない場所には「階段」を作りますが、手を付けるのは未だ先の事なようです。
いくらここが風通しが良くても、9:00 になるとかなり暑くなります。 取り敢えず写真は撮ったので、日陰でゆっくりする事にしました。



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