何と、彼女は犬に向かって「説法」をし始めました。
T.W.さんは2ヶ月ほど前に10日間ほどの予定で出家しました。 10日後に一緒に出家した人達と共に還俗しようとしたのですが、急に全身の力が抜けてしまい還俗の儀に参加できませんでした。 その後も数回還俗しようしたのですが、その度に身体が動かなくなるので、今だに出家したままでいます。 この辺は後日詳しく書こうと思っています。
いくらW.T.さんが出家したからと言って、毒吹きコブラに眼をやられた愛犬に「説法」するとは思ってもいませんでした。 「ケーオ」も「ケーオ」でしょげてしまい、下を向いています。
様子から察するに、やはり右眼は見えないようです。 それでも歩く時はいつもと同じように歩いているので、左眼をチラチラと開けて周りを確認できているはずです。 コブラの毒は神経毒で、2時間前後で分解すると、何かの本で読んだ記憶があります。だとすれば、これ以上症状は悪化しないと考えられます。 後は何処まで回復するかです。
「今日は大変だったから疲れたでしょう? 私達ももう寝るから、『ケーオ』も寝なさいね。 ゆっくり休んで早くよくなるのよ。 寝る前に、『ケーオ』の為に『慈悲の瞑想』してあげるから、『ケーオ』も『チャオカムナイウェーン』に赦しを請うのよ。」
W.T.さん、お婆ちゃんを始め実家からやって来た人達は寝床に付きましたので、私も寝る事にしました。 「ケーオ」もベランダで横になっていますが、腫れたまぶたが疼くのか、頻繁に目をこすっていました。
「慈悲の瞑想」は日本テーラワーダ仏教協会のHPで詳しく紹介していますから、私の説明などは要らないと思います。 ただ私には、タイ上座仏教はこの「慈悲の瞑想」を、日本テーラワーダ仏教協会以上に重要視しているように感じています。 又、「慈悲の瞑想」の中で「私を嫌っている人々」をタイ語で「チャオカムナイウェーン」と呼びます。 ただ単に「嫌っている」だけでなく、過去世の中でで何かの「因縁」があって「嫌う」ようになった訳で、タイ上座仏教では人生に於ける「苦」の大きな原因と捉えています。 この「チャオカムナイウェーン」についても、機会があれば詳しく書くつもりです。
そしてこの日、私も「ケーオ」 の為に「慈悲の瞑想」をしました。 目が開かない状態のまま「お手」をしたり顔を舐めてくる姿を思い出すと、いたたまれなくなって涙が零れてきます。
最近は持病の背中の痛みが強く、何をするにもしんどくなってきました。 「患部」に潜む「チャオカムナイウェーン」に「慈悲」を与えなくては症状は良くなりませんから毎日行いなさいと言われているのに、サボって殆ど「慈悲の瞑想」をしていない私ですが、この日は流石に真剣にやりました。 何とか右眼の失明にだけは至らないで欲しいものです。
翌朝、シャワーを浴びて外に出ました。 そっと隣のクティのベランダで寝ている「ケーオ」の様子を眺めていると、読経の時間を知らせる5時の銅鑼の音が響き、「ケーオ」もその音で目を覚ました。 ですが、両眼は昨日と同じく閉じたままです。 暫くは「キョトン」としていましたが、そのうち昨日と同じように目をこすり出しました。 心配なのでそばに居たい所ですが、そうも行きません。 朝の読経・瞑想をしに、お堂へ向かいました。
瞑想が終わって朝食の時間、いつもなら知らない人の匂いを嗅いだり、慣れた人に餌をねだったりして皆が食事をしている所をうろついているはずの「ケーオ」の姿が見えません。 食事をさっさと済ませて探したのですが、やはり見つかりませんでした。 居たら居たで開けない眼を見ては失明しやしないかと心配になるのは分かっていますが、居なければ居ないでもっと心配になります。
私は「小さなお寺」と呼んでいますが、正確にはタイ語で「サターナタム(研鑚所)」と言います。 お寺として登録していないので僧侶は居らず、必要があれば近所のお寺から招きます。
この日、皆が僧侶への食事や寄進物を準備している合間をみて「ケーオ」を探したのですが何処にも居ません。 皆が準備をしているのに一人だけブラブラする訳にもいかず、お堂の中で喜捨物の「果物の山」を作る手伝いをしていました。
「昨日の夕方、「ケーオ」はあそこで寝てたんだよな」
そう思いながら祭壇を眺めると、「ケーオ」は昨日と同じように祭壇の下で小さくなっていました。 眼の具合を確かめようと近づき、真正面に座ると、慌ててその場を立ち去ろうとしました。 怒られて追い出されると思ったみたいです。
「いいから休んでな、今日は何も言わないから。」
そう言いながら、私が後退りして距離を取ると「ケーオ」はホッとしたように座り直し、今朝と同じように眼をこすり始めました。
「気配を殺す」とでも言うのでしょうか、多くの人がすぐそばで座っているのに、「ケーオ」がいる事に気付いた人は殆どいません。 いつもはお堂に入って来ても直ぐに出されてしまうか、遠慮するように自分からさっさと出て行ってしまうですが、今日は誰にも何も言われずにゆっくりとしていられるせいか、時折辛そうに眼をこする事を除けば、とても気持ち良さそうです。 ずっとこうしてみたかったのかも知れません。
僧侶への喜捨を終え、昼食も終り、参拝に来た人達が銘々帰り始めた頃、私も帰り支度を整えました。 人によっては片付けを手伝ったり、関係者と話し込んでいます。 帰りの方向が同じ人達の中に、席が空いている車があったので同乗をお願いし、メーチーに帰りの挨拶をしました。 この時、祭壇の下を見たのですが、「ケーオ」の姿はありませんでした。 境内を見回しても見当たりません。 帰り際にはいつも必ずやって来て「別れの挨拶」をしていたので淋しく感じましたが、今はゆっくり休んで眼を治す事が先決です。 見送ってくれたW.T.さんに別れの挨拶をすると、何処からやって来たのか、何時の間に現れたのか、W.T.さんの後ろで「ケーオ」が大きなアクビをしています。 W.T.さんは待っていたかのように御土産に買ってきた "TARO" の封を開けて食べさせ始めました。 この "TARO" は魚の身を薄く伸ばし、細く切って味付けをした、タイでポピュラーなおつまみです。 以前は皆が美味しそうに食べていると、「ケーオ」もそばで「お座り」「お手」をしてねだっていましたが、最近は化学調味料や油脂分の多いものは胸焼けをするみたいで、以前ほど量を食べなくなりました。
具合が悪いので気が弱くなっているのでしょうか、普段よりも甘えるような仕草で食べされてもらっています。 "TARO" を食べている最中の「ケーオ」に、
「帰るからね」
と別れを告げて駐車場に向かうと、いつもより遅い足取りでついてきました。 眼が開かなくても、いつものように送ってくれる辺り、犬という動物は義理堅いものだなと感心しました。 もし私が片方の目は完全に見えず、もう片方の眼も辛うじて開き周囲の状況を確認するのが精一杯だとしたら、例え世話になった人が帰る時でも見送りはしないと思います。
どうか「ケーオ」の眼が良くなって、元通り境内を走り回れるようになりますようにと祈って、「小さなお寺」を後にしました。
アパートに戻っても「ケーオ」の眼が気になってしまい、翌日の仕事は上の空でした。 水曜日、W.T. さんに症状を尋ねる為に電話をかけたら、実家に帰る為に「小さなお寺」を出たばかりでした。
「ケーオ、治ったわよ。」
その言葉を聞いてホッとすると同時に、余りに早い回復に驚きました。
「え!、もう治ったんだ。 回復早いね。」
「左眼だけだけどね。 今朝からちゃんと見えるようになったわよ。」
「右眼は?」
「未だ開かないわ。 もしかしたら、もう見えないかも知れないわ。 良くなって、元通り走り回れるといいんだけれどね。」
「やっぱり右眼は未だ駄目なんだ 。」
「あなたも『ケーオ』の為に『慈悲の瞑想』してあげてね。 私は朝晩やってあげているの。」
「うん、毎日やってるよ。」
自分の事では余り真剣にやっていないのに、何で犬の為にはこんなに一生懸命なんだろうと、自分でもおかしくなりました。
正確に言えば、左眼が「見えるようになった」訳ではなく、見えていたけれどまぶたが腫れしまい開く事が困難だっただけです。 そして、肝心の右眼は未だ見えているのかどうか分からないのです。 少し遠くても、「ケーオ」がどんなに嫌がっても、直ぐに獣医に診せるべきだったのではないだろうかと考えると、失明せずに済んだものを失明させてしまったのではないかと自責の念に駆られます。
そんな不安な日々は更に2日続きました。 気になって仕方ないので、金曜日に厨房を預かっているK.N.さんに電話で「ケーオ」の症状を尋ねました。
「今朝、やっと右眼を開けられるようになって、もう今まで通りに走り回っているよ。」
その言葉を聞いて、私はやっと気持が楽になりました。 結果的には皆が言っていた
「大丈夫、なんとかなるよ。」
が正しかったのです。
治ったと聞くと、今度は元に戻った姿をこの眼で確かめたくなったので、
「明日、遊びに行くから」
とK.N.さんに伝えました。 この時には私の眼から涙が零れ、声が上ずっていました。 ばれないようにさっさと電話を切りましたが、暫くの間、涙は止まりませんでした。
翌朝、始発バスに乗り8時には到着しました。
タクシーが乗り付けるなり、「ケーオ」と「チャオクワイ」がいつもと変わらずに走って出迎えに来ました。 そして取り敢えず肩から荷物を下ろすと、直ぐ隣で「お座り」「お手」をしてきました。 いつもと同じその仕草・表情が、掛替えのない尊いものに感じられました。
何気ない日常のごくありふれた一コマに、既に自分の元にあるものに、幸せを感じられる事が最も重要な「幸せになるコツ」だと言いますが、それを実感した1週間でした。
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