2012年8月1日水曜日

毒吹きコブラ 2 (タイの日常生活)

 取り敢えず「ケーオ」がいる洗面台の上に「聖水」と「蜜蝋」を置き蓋を開け、「ケーオ」の首根っこを押さえ付けようとしたら、N.N.さんがやって来ました。 彼女がいれば、「ケーオ」も逃げたり抵抗したりしないはずです。 右目は全く開かず、たまに開く左目は白濁している事を説明し、「聖水」で眼球洗浄、次にまぶたの内側に「蜜蝋」を塗る手順を簡単に話して、私が「ケーオ」の首を押さえました。
   無理矢理まぶたを開いて水を掛けられたので「ク~ン」と弱々しい泣き声をあげています。 でも、まぶたの開き方が中途半端で、充分な洗浄が行えていないような気がします。 タイ人はこういう事がとことん大雑把です。 「蜜蝋」もまぶたを開いて眼球とまぶたの間に塗り込むように言ったのに、まぶたの上に 「ベト~ッ」と塗りつけて
   「うん、これで大丈夫。」
   って、これじゃ、意味がないような気がします。


夫婦で近所の果樹園を経営しているお婆ちゃん。
手慣れたものです。






 私が塗り直そうと片方の手を「蜜蝋」が入った容器に手を伸ばすと、手が緩んだ隙をついて「ケーオ」は私の手から逃げてしまいました。


   「もう終わりだから。 もう大丈夫だからね。 ゆっくり休みなさいね。」
   そう言ってN.N.さんは「ケーオ」をなだめながら洗面台の下に寝かせました。 暫くの間前足で目をこすっていたので、前足にも「蜜蝋」を塗っておきました。 直接眼球には触れないかも知れませんが、まぶたの腫れを引かす事はできるでしょう。 これ以上は仕方ないのかなと思いながら眺めていると、疲れたのか寝てしまいましたので、私とN.N.さんはトイレを出ました。
  「ケーオ」の事が心配でしたが、私達がそばに居ると落ち着いて寝られないでしょうから、果物を摘みに戻りました。 皆は奥で成っているランブータンの実を摘んでいましたが私は手前にあるロンコーンの実を摘みました。 熟していない果実を摘んでしまうと、もうそれ以上熟さないの果実なので、樹上で熟してから摘め取る手間のかかる果実で、雨に当たると房が足の長い白カビだらけになってしまう、結構手間のかかる果実なせいもあってか、市場価格はランブータンより高価です。 ライチよりも水分が少なく、透明感のある果肉は種ごとに複数に分かれており、皮にはヤニを多く含んでいるので、皮を剥くときに爪を使うと、爪の中が黒くなってしまいます。 



こちらは「ローンコーン」の実。
木によって実の味がかなり違いました。



 気の合った仲間とワイワイやりながら食べる完熟果実の味は格別で、本来なら楽しい時間を過ごせた筈なのですが、「ケーオ」の事が気になってしまい、心から楽しめません。 こういう時、タイ人は心の切替えが上手だなと感心します。 N.N.さんは鋸でランブータンの枝下ろしをしています。 楽しげなその表情からは「ケーオ」の事が心配で仕方ない陰りは感じられません。 私はといえば、「椅子があった方が摘み取り易い」 「脚立を使うともっと摘み取り易い」と、あれやこれや理由を見つけては「ケーオ」の様子を見に行ってました。 
最初に椅子を取りに行った時、「ケーオ」はさっきのトイレにはいませんでした。 今日は月例瞑想指導会の日なので、いつもよりもトイレを利用する人が多くて落ち着かないのかもしれません。 あちこち探し回ると、厨房の隣にある「洗い場」に置いてあるテーブルの下で寝ていました。  「ケーオ」がここで休む事は先ずありませんが、外敵からは見付かりづらく、自分は周りの様子が良く分かる場所だと思います。 野生の血がさせるのかも知れません。 さっきと違って短い呼吸ではなく、注意深く観察しないと分からない位のゆっくりした浅い呼吸です。

   コブラの毒は1~2時間が山だと言われてます。  「毒吹きコブラ」ではなく、普通のコブラに咬まれたのであれば、「ケーオ」の生死はあと1時間程で決まる事になります。 又、タイに「毒吹きコブラ」はあまりいないとされています。 本当に毒吹きコブラにやられたのでしょうか? 兎に角、今の私にはじっと見守る以外に何もしてあげられません。 回復を祈りローンコーンの樹に戻りました。


私達が摘んだこの樹は甘みにほどよい酸味が加わった、
「完熟果実」だけがもつ豊潤な味でした。


 素人がああだこうだと言いながら摘むのですし、摘むより自分の口に運ぶ方が忙しいのですから作業は中々はかどりませんが、1時間も経たないうちに椅子で手が届く範囲は摘み終わりました。 今度は脚立を取って来ると言って「ケーオ」の様子を見に行ったのですが、さっきのテーブルの下にはいません。 どこへ行ったのかとキョロキョロ辺りを見回すと、何時の間にか来たのか、私の後ろに両目をつぶったまま座っています。  この時間に普通に動けるならば、咬まれた訳ではなさそうです。  取り敢えず命に別状がない事にホッとしましたが、両まぶた、特に右が大きく腫れ、膿が流れています。  症状を確かめたくて右側を覗き込むと、顔を逸らして見せようとはしません。  本能的に急所を晒す事を避けているのでしょうか?  その痛々しい姿を見ていると、居た堪れなくなって私も涙が溢れてきました。  もう一度眼球洗浄をして、「蜜蝋」を塗った方がいいだろうと思い、さっのトイレに置きっ放しにして出てきた「聖水」と「蜜蝋」を取りに行こうと腰を上げようとしたその時、「ケーオ」が突然「お手」をして来ました。 目は開かないけれど真っ直ぐにこちらを向き、何かをねだるように口を開いて舌を出すいつもの仕草が堪らなく愛おしいものに感じられました。

   「もしかしたら、お腹が空いているのかも知れないな。 厨房に何かある筈だ。」
 野生の動物は病気や怪我をした時には殆ど食事を摂らず、回復する迄じっとしているものなのだそうです。  以前、「ケーオ」が 「チャオクワイ」と骨の取り合いで大き喧嘩をした時、「ケーオ」はいつものように勝ったものの、左目の少し下にかなり深い傷を負った事がありました。 その時は傷口が塞がるまで殆ど何も食べずにじっとしていました。  食欲が有るならば、症状は大した事がないのかも知れません。  それに、空腹時に食べ物が目の前にあれば少しはおとなしくするだろうから、首を抱えてもう片方の手で「蜜蝋」を塗れるかもしれません。 できる事はできる時にやっておいた方がいいでしょう。


厨房脇の洗い場のテーブルの下でピクリとも動かずに寝ていました。



 そんな事を考えていたら突然、体の向きを180度変えてお堂の方へトボトボと歩いてゆきました。 「お手」をした直後に、向こうを向いて歩き出すなんて初めての事です。

   「ケーオ、何処行くの?」
   「一体どうしたの?」
   声を掛けながらも「お堂の裏口にある駐車場で休みたいのかな? でもそれならわざわざお手なんかしないはずだし・・・。」 と不思議に思いました。
お堂の入口の前で「ケーオ」は立ち止まり、「お座り」の姿勢で扉の中をじっと見詰めています。 目をつぶっているはずなのですが、ピクリとも動かずに中を見詰めているその姿勢はますます不可思議です。 というのも、もし扉を開けたければ、前足と鼻先を使って扉を開ける事ができるのです。 「中に何かあるのかな?」 と扉に近付いても、「ケーオ」は相変わらずピクリとも動きません。 「中に入りたいのかな?」 そう思いながら扉を少しだけ開けたのですが、中には誰もいません。
   「何? 中に入りたいの?」
 そう語りかけると、「ケーオ」は急に腰を上げました。 お堂の中に犬を上げてはいけない事になっています。 でも、あまりに真剣にお堂の中を見詰めているその姿を見て、「怒られてもいいや」と感じ、周りを見回しても誰もいない事を確認してからお堂の扉を開けてあげました。



祭壇下に隠れるように寝ていた「ケーオ」
右目からは膿が流れ落ちてくるので常に舐めて拭き取っていました。



   中に入ってビックリです。 「チャオクワイ」がグーグー寝ています。 自分で扉を開けられないはずなのに、いつの間に中に入ったのでしょう? 普段の「ケーオ」なら、「チャオクワイ」が中にいたなら自分も構わず入ってゆくはずです。 それが今日は扉を開けてもらうまでジッと待っていたのです。
   中に入ると真っ直ぐ歩いてゆき、仏前で「お座り」をしました。 もしも出家者が座っていれば、ちょうど「お手」ができる位置です。 そして暫くの間、仏像の方を向いてじっとしていました。 私も仏前に礼をすると、「ケーオ」は仏像の裏に廻り、目立たないように小さく丸くなって寝てしまいました。 余程この場所で休みたかったのでしょう、とても気持ちよさそうです。 いつもなら例えお堂の中に入っても、出家者に「お手」をして直ぐに出てゆくので、特別に目をつぶって中に入れてあげたつもりでしたから、私もちょっと戸惑いました。 でもさすがに今、「ケーオ」をここから出す気にはなれず、仏前に礼をして、そっとお堂を出てゆきました。


写真ではあまり分かりませんが、
両まぶた共にひどく腫れてしまい、とても痛々しい姿でした。



 その後もう一度「ケーオ」の様子を見に「お堂」の中へ行きましたが、さっきと同様小さくなって寝ていましたのでそっと寝かしておいてあげました。

 収穫も終わり、疲れたので「クティ(僧房)」でシャワーを浴び、仮眠を取り、目が覚めたのは読経の時間でした。 皆、お堂に集まっていますが、さっきの場所に「ケーオ」はいませんでした。 何処に行ったのか、どうしているのか心配でしたけれどどうしようもありません。 読経が終わり法話のまでの休憩時間中に探したのですが見つからず、法話も上の空で聞いていました。

   この日は「ケーオ」の世話係の T.W.さんが、実家からお婆ちゃんを連れて帰ってくる予定でした。 「ケーオ」の姿を見たらとても驚くはずです。 朝、実家を出たと聞いていたのに未だ到着していませんから、いつもより随分と時間がかかっています。 法話が終わると「クティ」に戻りました。 隣の「クティ」に灯りが付いていますから、T.W.さんとお婆ちゃんはもう到着していたのでしょう。 近付くと皆がベランダに集まって話をしています。 お婆ちゃんに挨拶をしようと覗き込むと、お婆ちゃんの前で「ケーオ」が「お座り」をしていました。
   「ケーオ、よくなったのかい?」
挨拶も忘れ、思わず声を上げながら覗き込むと、右目がさっきよりも大きく腫れ上り、涙に膿が混じって流れていました。 お昼よりも痛々しい 姿です。 お婆ちゃんは2~3ヶ月に1回程度の割合で、実家からこの「小さなお寺」にやってきます。 お婆ちゃんがじっと「ケーオ」を見詰めながら
   「可哀想にね」
  とつぶやくと、それに答えるかのように「お手」をしてました。

 皆の話では、果物を摘み終わった後でメーチーが「ケーオ」の様子を見たとき、「お座り」しながら涙をポロポロとこぼしていたそうです。



近くで見るとまるで涙を流しているようでした。



   消毒効果がある薬草を飲ませようとしても嫌がるので、T.W.さんは布に含ませて目の回りを拭いたり、目をこする前足を濡らしたりしていました。

 「久しぶりにケーオに会えるから、大好きな御菓子を沢山買ってきてあげたのに、それどころじゃなくなっちゃったわね。」
   そう言いながらT.W.さんは丹念に目の回りを拭いています。 「ケーオ」も黙っておとなしく吹いて貰っていますが、他の人だとこうはいきません。 誰か一人が押さえ付けていないと嫌がって逃げてしまいます。 慣れていない人なら噛み付かれるでしょう。 でも T.W.さんだけは例え顔を少し背けても 、逃げたりせず、まるで縫いぐるみのように大人しくしています。 やっぱり「飼い主」には忠実なのだなと思いました。

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