前回の記事「仏像(ソムデットオンパトム)建立 8」と同日に撮影した写真ですが、いきなり気持ち悪い写真で申し訳ありません。 見ての通り、鼠の死骸です。 何でこんな写真をアップしたかというと、「小さなお寺」にいる2匹の飼犬を紹介したかったのです。
2011年4月9日(土)の犠牲者。
特に物置に隠れている鼠の捕り物は見事です。 置いてある水道管や鉄パイプの中に隠れている事が分かると、一匹が一方から追い立てます。 パイプの口から吠え立てたり、前足2本を器用に使い「バン! バン!」と叩くのです。 もう一匹は、もう片方のパイプの口をじっと見詰めながら鼠待ち伏せ、飛び出してきた所を「ガブッ」と噛み付くか、2本の前足でギュッと押さえ付けてしまいます。
2匹のチームワークに逃げ場を失い、噛み殺されてしまいました。
又、読経や説法の直前に、いきなり御堂のドアをこじ開けて中に入ってくることがあります。 この時、追い出そうとすると、例え普段慣れている人にでも牙を剥いてきます。 でも、仏前で出家者に挨拶の「お手」をすると、それで気が済むようで、その後はおとなしく出て行きます。
雌犬だけど気が強く、自分よりずっと大きな犬を相手に
一歩も引かない「ケーオ」
「ケーオ」は餌を地面に置くと、ふて腐れた態度をして、決して食べようとしません。 古い鍋を「餌入れ」に使っているのですが、人が見ている間はその鍋からも食べようとはしません。 世話係の2人が馬鹿可愛がりをして、手から直接食べさせていたので、今では「あ~ん」と誰かが食べさせてくれないと、餌を食べないのです。 お腹が空けば、誰もいないのを見計らって食べていますから、ちょっと呆れてしまいます。
最初のうちは、「ペットを甘やかす」からいけないのだと思っていました。 叱るべき時に叱らず、「人」と「犬」の「境界」を明確にしないから、犬も段々と図に乗ってくる訳で、犬を飼っているのにきちんと「躾」ができない人達だなと思っていました。
鼻が利くので気が付くのは早いけれど、
気が小さいので吠えてばかりいる雄犬の「チャオクワイ」
ですがずっとタイ人と接しているうちに、私の感じ方も少しずつ変わってきました。 なつかれて「情」が移ってしまった事もその理由の1つだと思います。
でもそれ以上に、御堂の中に入りたがっているときの表情は、お腹が空いて餌をねだるときでさえ決してしない、「訴える」ような表情をするのです。 それでも「駄目!」と中に入れなければ、最終的には渋々ですが言う事を聴き入れる事が多いのです。 ですが、場合によってはどうしても聴き入れない時があります。 そんな時は「メーチー」も「仕方がないから入れてあげなさい」と中に入る許可を出してあげます。 一度中に入って気が済めば、その日はもう入ってこようとはしないのですから、私には分からなくても、犬にとってはとても大切な何かがあるようです。
ちなみに、読経・瞑想・法話の最中に入ってこようとはしません。 入ってくるのは、その合間の「トイレ休憩」や「準備時間」中だけで、以外と礼儀正しいのです。
大嫌いな鼠を仕留められたのでご機嫌です。
この2匹は「番犬」としてはとても優秀です。 犬ですから「縄張り」に他の犬が入ってこないように気を張るのは当然ですが、よく毒蛇などの「害獣」を見つけ、追い払ったりしています。 最近では産卵直前の「コブラ」をこの2匹が捕まえ、腹を引き裂いて卵を引きずり出していた事もありました。 後で卵を数えたら、60以上ありました。 コブラの天敵マングースのような対応は犬にはできませんから、犬にとってもコブラはとても危険な存在です。 落ち葉の下にでも潜り込んだら、どこにいるのか直ぐには分かりません。 それでも「臭い」を頼りに追い続け、最後には噛み殺したのですから大したものだと思います。
一仕事終えて疲れたのか、日向で昼寝です。
よく、ペットを甘やかすと、自分を人間と勘違いすると言いますが、その典型のような気もします。 でも、「番犬」としての役目は充分且つ忠実に果たしているように思います。
私には、普段は一生懸命自分の役目を果たし、遠慮してあまり入ろうとしない御堂の中に、知らない人や滅多に来ない人達が入っていく様子を見ると、「私もこの『研鑽所』の一員ですよ」と皆に自己アピールしたくて中に入ってくるように感じるのです。
又、ここを訪れる人達は、「出家者」に対してだけでなく、ここで働いている人達にも敬意を払っています。 ちなみに、私はここで働いている訳ではなく、時間の都合が付いた時だけここに来ていますから、他の人達と同じなのですが、「いつ来てもあなたはいるじゃない」と、勝手に私をここの関係者だと勘違いをする人がとても多く、そのお陰で「敬意」を払ってもらってます。 それなのに、「犬」だから「敬意」を払ってもらえず、上目線から「頭を撫でて」可愛がろうとする人達が多いので「ケーオ」は面白くないのかもしれません。
犬がそんな風に感じているのかどうか、確かめる術はありませんが、そう感じてからは私なりに「友達」や「兄弟」のように接するようにしたら、以前より更になついてきたような気がしています。 気のせいかも知れませんけれど・・・。
この2匹は、この土地が未だ「ドリアン果樹園」だった頃から飼われていました。 身体の色が茶と白で、耳先や鼻先は黒の雌犬が「ケーオ」です。 全身が黒で白髪が混じり、 脚や顔には薄茶と白が混じる雄犬が「チャオクワイ」です。
この2匹はここにいる人達が「一体何故?」と思う程、鼠が大嫌いで、近くに隠れている事が分かると、餌を食べている最中であろうと鼠を追い始めます。 目で見て追うのではなく、臭いを嗅ぎながら追うのですから、昼夜の別はありません。
この2匹はここにいる人達が「一体何故?」と思う程、鼠が大嫌いで、近くに隠れている事が分かると、餌を食べている最中であろうと鼠を追い始めます。 目で見て追うのではなく、臭いを嗅ぎながら追うのですから、昼夜の別はありません。
2011年4月9日(土)の犠牲者。
特に物置に隠れている鼠の捕り物は見事です。 置いてある水道管や鉄パイプの中に隠れている事が分かると、一匹が一方から追い立てます。 パイプの口から吠え立てたり、前足2本を器用に使い「バン! バン!」と叩くのです。 もう一匹は、もう片方のパイプの口をじっと見詰めながら鼠待ち伏せ、飛び出してきた所を「ガブッ」と噛み付くか、2本の前足でギュッと押さえ付けてしまいます。
上座仏教は「戒律」を守った生活をする事が教えの第1歩です。 そして、数ある戒律の第1戒が「不殺生」となりますから、鼠を捕まえても誰も誉めてはくれません。 ですから、捕まえた鼠を誰の目にも入る平らなコンクリートの上に置き、仰向けになってゆっくりと右に左に身体を倒し、自分で「悦にいる」のです。 汚いから片付けようとすると、慌てて鼠を咥え、向こうに持って行き、又仰向けになって左右に身体を倒します。 でも暫くすると納得がいくのでしょうか、誰かが片付けようとも全く気にしません。
この土地の元オーナーの話では、以前はこんなにムキになって鼠を捕まえたりはしなかったそうです。 「ドリアン果樹園」を寄進して「研鑽所」に変わると、「???」と思う位、この2匹の性格も変わったそうです。
特に「ケーオ」は、この「研鑽所関係者」以外の人に頭を触られる事を極端に嫌がるようになり、ここを訪れた人が可愛がって頭を撫でようとすると噛み付く事すらあります。 そんな時、「ウ〜ッ」と吠えつくのではなく、「キャイン!」と尻尾を踏まれたような声で噛みつく事が、不思議と言えば不思議です。
この土地の元オーナーの話では、以前はこんなにムキになって鼠を捕まえたりはしなかったそうです。 「ドリアン果樹園」を寄進して「研鑽所」に変わると、「???」と思う位、この2匹の性格も変わったそうです。
特に「ケーオ」は、この「研鑽所関係者」以外の人に頭を触られる事を極端に嫌がるようになり、ここを訪れた人が可愛がって頭を撫でようとすると噛み付く事すらあります。 そんな時、「ウ〜ッ」と吠えつくのではなく、「キャイン!」と尻尾を踏まれたような声で噛みつく事が、不思議と言えば不思議です。
2匹のチームワークに逃げ場を失い、噛み殺されてしまいました。
又、読経や説法の直前に、いきなり御堂のドアをこじ開けて中に入ってくることがあります。 この時、追い出そうとすると、例え普段慣れている人にでも牙を剥いてきます。 でも、仏前で出家者に挨拶の「お手」をすると、それで気が済むようで、その後はおとなしく出て行きます。
ここでは毎月「瞑想研鑽会」が開かれますし、仏教関係の行事が執り行われます。 人が沢山集まり、友人知人に連れられて初めて訪れる人もいます。 そんな日は、ちょっと油断すると隙を見て御堂の中に入ってきて、なかなか外に出てゆこうとしません。 こんな時、この2匹がとてもなついている世話係の女性2人は厨房を手伝っているので御堂にはいません。 私はいつの間にか犬を御堂の外に連れ出す係にされてしまいました。 月に1~2回遊びに行くだけの私に、それだけなついている訳です。
雌犬だけど気が強く、自分よりずっと大きな犬を相手に
一歩も引かない「ケーオ」
「ケーオ」は餌を地面に置くと、ふて腐れた態度をして、決して食べようとしません。 古い鍋を「餌入れ」に使っているのですが、人が見ている間はその鍋からも食べようとはしません。 世話係の2人が馬鹿可愛がりをして、手から直接食べさせていたので、今では「あ~ん」と誰かが食べさせてくれないと、餌を食べないのです。 お腹が空けば、誰もいないのを見計らって食べていますから、ちょっと呆れてしまいます。
最初のうちは、「ペットを甘やかす」からいけないのだと思っていました。 叱るべき時に叱らず、「人」と「犬」の「境界」を明確にしないから、犬も段々と図に乗ってくる訳で、犬を飼っているのにきちんと「躾」ができない人達だなと思っていました。
その点、中国系タイ人は逆にとても厳しいので、こういった事にはいつも顔をしかめています。 多くの場合、私も中国系タイ人と同じ考えでした。
鼻が利くので気が付くのは早いけれど、
気が小さいので吠えてばかりいる雄犬の「チャオクワイ」
ですがずっとタイ人と接しているうちに、私の感じ方も少しずつ変わってきました。 なつかれて「情」が移ってしまった事もその理由の1つだと思います。
でもそれ以上に、御堂の中に入りたがっているときの表情は、お腹が空いて餌をねだるときでさえ決してしない、「訴える」ような表情をするのです。 それでも「駄目!」と中に入れなければ、最終的には渋々ですが言う事を聴き入れる事が多いのです。 ですが、場合によってはどうしても聴き入れない時があります。 そんな時は「メーチー」も「仕方がないから入れてあげなさい」と中に入る許可を出してあげます。 一度中に入って気が済めば、その日はもう入ってこようとはしないのですから、私には分からなくても、犬にとってはとても大切な何かがあるようです。
ちなみに、読経・瞑想・法話の最中に入ってこようとはしません。 入ってくるのは、その合間の「トイレ休憩」や「準備時間」中だけで、以外と礼儀正しいのです。
大嫌いな鼠を仕留められたのでご機嫌です。
この2匹は「番犬」としてはとても優秀です。 犬ですから「縄張り」に他の犬が入ってこないように気を張るのは当然ですが、よく毒蛇などの「害獣」を見つけ、追い払ったりしています。 最近では産卵直前の「コブラ」をこの2匹が捕まえ、腹を引き裂いて卵を引きずり出していた事もありました。 後で卵を数えたら、60以上ありました。 コブラの天敵マングースのような対応は犬にはできませんから、犬にとってもコブラはとても危険な存在です。 落ち葉の下にでも潜り込んだら、どこにいるのか直ぐには分かりません。 それでも「臭い」を頼りに追い続け、最後には噛み殺したのですから大したものだと思います。
でも、一番不思議なのはこの2匹、特に「ケーオ」に嫌われる人は、後で問題を起こしがちな事です。 決して100%ではありません。 始めた会う人が何気なく上に揚げた手を、自分を叩こうしていると勘違いして噛みつ付く事もあります。 でも、そんなときは後で頭を低く下げながらその人に近付き、正面に座って「お手」をして謝まります。 その逆に、いくら謝らせようとしてもふて腐れた態度でそっぽを向いてしまい、ちょっと目を話すとどこかへ行ってしまう事もあります。 「何であの人の事をこんなに嫌うのだろう?」と皆が不思議がる人ほど、後で大きな問題を起こすのです。
一仕事終えて疲れたのか、日向で昼寝です。
よく、ペットを甘やかすと、自分を人間と勘違いすると言いますが、その典型のような気もします。 でも、「番犬」としての役目は充分且つ忠実に果たしているように思います。
私には、普段は一生懸命自分の役目を果たし、遠慮してあまり入ろうとしない御堂の中に、知らない人や滅多に来ない人達が入っていく様子を見ると、「私もこの『研鑽所』の一員ですよ」と皆に自己アピールしたくて中に入ってくるように感じるのです。
又、ここを訪れる人達は、「出家者」に対してだけでなく、ここで働いている人達にも敬意を払っています。 ちなみに、私はここで働いている訳ではなく、時間の都合が付いた時だけここに来ていますから、他の人達と同じなのですが、「いつ来てもあなたはいるじゃない」と、勝手に私をここの関係者だと勘違いをする人がとても多く、そのお陰で「敬意」を払ってもらってます。 それなのに、「犬」だから「敬意」を払ってもらえず、上目線から「頭を撫でて」可愛がろうとする人達が多いので「ケーオ」は面白くないのかもしれません。
犬がそんな風に感じているのかどうか、確かめる術はありませんが、そう感じてからは私なりに「友達」や「兄弟」のように接するようにしたら、以前より更になついてきたような気がしています。 気のせいかも知れませんけれど・・・。
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