2010年10月31日日曜日

見えてきた (世代間伝播)

セミナーが進行して行くにつれ、ある場面で真っ黒だった母の顔がぼんやりとですが見え初めてきました。 はっきりとは見えないけれどやはり笑顔なように感じます。 そしてその時の母の心は幸せに満ちていた事を感じ取ることができると、涙が止まりませんでした。 更に深く掘り下げて行くにつれ、ぼんやりとしていた笑顔が徐々にはっきりしてきました。 そしてようやく、思い出せる母の笑顔がもう一つ増えたのです。 「もう少しやってみましょう、お母さんの笑顔は今のあなたにとってとても大切ですから。」Y.S.先生にそう言われてさらに続けました。
何らかの前進があった瞬間は「やった、出来た。」そう思えるものですが、その結果を得るまでの過程は異常に苦しいものです。 「何でこんな思いをしながら『真我』なんか開発しなきゃならないんだ?」 そんな思いが頭の中をよぎるのは1度や2度ではありません。
私がこのセミナーで経験している事は、たった2日間で「カタルシス」とそこに至るまでの「葛藤」を連続的に繰り返しているのかも知れません。 そして、それに伴う疲労も相当なものです。 昼食と夕食はセミナー会場で取りましたが、味など殆ど分かりません。 そして食べ終わるなり作業を続けました。 会場にはお茶、コーヒー、飴などが用意してあり、疲れた人は適当にブレイクを取っていたようですが、私はそれすら殆ど手を付けませんでした。 「早飯早糞芸のうち」というように職人にとって当たり前の事で慣れているとはいえ、前回、前々回とも、セミナー終了と同時にどっと疲れが出て放心状態になりましたから、ある意味重労働です。 ですがその甲斐あって母に対する思いはかなり浄化されたようで、更に1コマ2コマ、母の笑顔を思い出しました。

2010年10月30日土曜日

あの頃の笑顔を思い出したい (世代間伝播)

私と母の間にはいくつもの諍いがあり、その度に溝が深まりました。 でもよく考えれば、それはあくまでも「きっかけ」にしか過ぎず、それよりずっと以前から、互いが気付かない間に心の深い部分では既に激しく憎み合っていたはずです。 何かのきっかけでたまたまそれが表面化してしまっただけで、遅かれ早かれ関係は壊れてゆくはずだったのです。 では、一体いつから憎み合うようになってしまったのでしょう。 親子の愛が、当人も気付かない間に「憎しみ」や「恨み」にすり替わってしまい、すり替わった事にすら気付かないというのはあまりに残酷な話です。 又、魂のレベルにまで染みついてしまった「歪んだ愛情表現」は、例えその事に気が付いたからといってそう簡単に治せるものではなく、気を常に張っていても僅かなほころびから表面化してしまうでしょう。 ましてそのことにすら気が付かなかったら、「当たり前」の事として「歪んだ愛情表現」をしてしまうはずです。
ですが私の母は祖母から受けたような仕打ちを我が子にはするまい、自分のような思いはさせまいと私を育ててくれたのです。 それなのに何故私は母の心の傷ばかり見ていたのでしょう。 本来見るべきなのはその傷の痛みに耐えながらも精一杯注いでくれた愛なはずなのに、当人も気付かないうちに向けるべき視点がずれ、問題がすり替わってしまったのです。 そう考えるととんでもない誤解と無駄な時間を過ごしてきた事が残念でなりません。 そう思えば思うほど、
「あの頃の笑顔を思い出したい。」
心からそう願いました。 それが失った大事なものを取り戻す最初の一歩のような気がしてならなかったのです。

2010年10月29日金曜日

微笑んでいる「真っ黒い顔」 (世代間伝播)

肝腎の「真我開発」は遅々として進みませんでしたが、別に彼女に釣られて泣いていたからではありません。 それ以外の時間は今まで以上に自分に集中できていました。
最初は前回の続きから始めました。 そしてあれほど心の奥深くから憎んでいた母に対し、素直に「ごめんなさい」「ありがとう」と言えるようになりました。 ですが、さらに深いレベルから言えるようになるために、かなりの時間を割いて母親を対象に真我開発を続けました。 ぼんやりと曖昧ですが母が笑顔だったはずのシーンをいくつか思い出すことができました。 残念な事に顔は相変わらず真っ黒です。 が、私を産み育てる事によって、それまで辛い事ばかりだった母の人生で初めて「幸せ」を実感することができた母の喜びに触れる事ができたのです。 私と一緒に過ごす時間が母にとってはかけがえのない時間であり、私は愛されていた、私を愛する事によって母は幸せを感じていたという事が分かってきたのです。 そして私も母といる時間は幸せだったのです。 真っ黒ではっきりと見えない顔ですが、それは微笑んでいるように感じてきました。 そうです、あのときの母は、今にも泣き出しそうに悲しみを湛えた顔ではなく、幸せに満ちた笑顔だったはずなのです。
真我開発講座は別に、「ごめんなさい」「ありがとうございます」を言う事が目的ではありません。 Y.S.先生によれば人の心は3層構造で、第1層目が「顕在意識」、 2層目が俗に言う「潜在意識」、 そして第3層目が「真我」で、ここに至るまでの手段として、特に第2層目の「ゴミ」を掘り起こす為に「ごめんなさい」「ありがとうございます」を使っています。 「真我」を体験した事がない者にとって「両親の愛」が「真我」に最も近いのだそうで、この両親の愛を実感するために「ごめんなさい」と己の非や過ちを認め、「ありがとうございます」と感謝する事で真我へ近づいてゆくのだそうです。 確かに「ごめんなさい」「ありがとうございます」と素直に言えるようになるに従って、内に抱えていたドロドロとした「怨念」の類が減っているようです。 減ってきたからこそ母の気持ちが分かってきたのだと思います。

2010年10月28日木曜日

もらい泣き ? (世代間伝播)

今回隣の席だったM.I.さんは私に負けず劣らず書きまくるし、頻繁にY.S.先生に見て頂いていました。 そしてとてもよく泣きました。 ここまでは私と同じようなものですが、 多少勝手の違うことがありました。 彼女の泣き声です。 突然子供が泣き出すようにとても高い声で始まるその独特の泣き声が耳に入った途端、私の鉛筆の動きは止まってしまい、彼女に釣られて激しく泣き出してしまうのです。 彼女の泣き声が耳触りだとかそう言う訳ではありません。 ただ今回は迷いがあったためなのでしょうか、それとも対象がはっきりしないためなのでしょうか、M.I.さんの泣き声は彼女の人生の「辛さ」や「悲しさ」が高濃度に凝縮され、強く激しく私の心を抉るのです。 それはまるで、これまで2回の受講で感じた辛さなど、これから始まる本番に備えるためのプロローグに過ぎなかったのではないかと感じてしまうほど激しくつよいものでした。 いくら自分のことに集中していても、1度M.I.さんの泣き声が聞こえると、彼女が泣き止むまで私の涙も止ままらず、作業は何も出来ない始末です。 不思議な事にその泣き声が止むと、泣き声を聞く直前の作業から集中して再開できるのです。 まるで彼女の泣き声は時間を切取るナイフで、私の心は時間ごと切り取られて持って行かれたかのようでした。
後日、Y.S.先生に何故深く自分に集中しているのに、M.I.さんの泣き声を自分の事以上に苦しく感じるのかと尋ねたことがありました。 
「似たような境遇だったから、真我のレベルで共鳴するものがあるんだろうね。 真我は元々一つで、自分や他人の区別なんかないんだから。」
とのことでした。

2010年10月27日水曜日

コツ (世代間伝播)

過去2回のセミナーでは、隣に座った人の顔もろくに覚えていないくらい自分の世界に浸り切り、一つでも多くのゴミを吐き出そうと自分に集中して全く手を止めずに書き続けていましたが、それがよかったのかも知れません。 セミナー中、Y.S.先生は度々説明して下さるのですが、「真我開発講座」にはちょっとしたコツがあって、それをどこまでできるかはセミナー受講の成果を大きく左右するのだそうです。 そのコツとは、とにかく書いて書いて書きまくることです。 この「書く」という作業が「真我」に近づき、開発してゆくための効率的手段なのだそうで、鉛筆の動きが止まったら直ぐにY.S.先生に見て頂き、アドバイスに従って又書き続ける。 これは字が汚くても構わないからスピードを持って書く事が肝要なのだそうですが、書いているうちに「自動書記」とか「お筆書き」に近い状態になるのだろうと考えられますし、会場の独特な雰囲気もその状態に拍車をかけているように感じます。 逆にここで悩んだり考え込んでいるようではなかなか前に進めません。 ゴミが普通の人より多かったからだと思いますが、私は殆ど手を止めずに書き続ける事ができましたし、書く事によって意識は次第に変化して行きました。 変化があったからこそ、母への「恨み」「憎しみ」を徐々に消してゆけたのだと思います。 これまで2回の受講者中では、書いた量もY.S.先生に見て頂いた回数も、私はセミナー最多だったのではないかと思います。

2010年10月26日火曜日

「すごく感覚的よね~」 (世代間伝播)

会場には開始時間よりかなり早く到着したのですが、かなりの数の受講生が既に到着していました。 スタッフの方の案内で席についてちょっと驚きました。 なんと、M.I.さんの隣です。 ですがこの時、私の頭の中は今気付いたばかりの事で一杯でした。 席に座り、準備をしようとした瞬間、「うわっ」と何かが胸に込み上げて来て、セミナー受講中のように大声で泣き出してしまいました。 ですが今回は再受講生が多かったので驚く人はあまりいなかったようです。 泣き止み、気持ちが落ち着いたので一旦外の風に当たろうと出口に行くと、M.I.さんと目が合いました。
「すごく感覚的よね~。 未だ始まってないのに、席に着くなり泣き出しちゃうなんて、もうすっかり自分の世界に入り込んでるんですね。 この調子なら、今回はきっと大きな成果がありますよ。 お互い頑張りましょうね。」
そう話す彼女には、初めて会ったときのような輝きこそありませんでしたが、前回Y.G.塾で会ったときのような「迷い」がなく、強い決意で臨んでいる事は言葉からも表情からもにじみ出ていました。 それとは対照的に私は、今朝気付いた事実に打ちのめされ途方に暮れており、それは、間もなく始まるセミナーを象徴するかのようでもありました。
自分だけでなく周りも同じような問題を抱えた人達ばかりだという事実は、母に対して「ごめんなさい」と言うためだけに1回、「ありがとう」と言うためだけに1回のセミナー受講を必要とした私にとっては残酷な現実でした。 母親以外の人達との関係改善のためにも、母同様の苦労をしなければならない可能性があると思うと、「なんて業の多い人生なんだろう。 いつになったら全て精算できるのだろう?」と、セミナーへの意気込みは大きく挫かれていたのです。 セミナー会場に到着するなり泣き出したのは、「自分の世界にすっかり入り込んでセミナーの準備ができている。」というよりはむしろ、「いくらセミナーを受けても解決できないかも知れない。」と、絶望感に呑み込まれてしまったからだったように思います。

2010年10月25日月曜日

残酷だ (世代間伝播)

そう気が付いてから、これまで私が経験した事を振り返るとはっきりと見えてくるものがありました。 私は当時36歳でしたが、結婚どころか彼女すら出来た事がないほど女性には無縁でした。 そして数少ない女性の友人の大部分は、何らかの形で私と同様「世代間伝播」の問題を抱えていたのです。 ただ、気丈夫な女性ばかりでそんな事を表には出しませんでしたが、よく見ればそのトラウマが様々な形で性格に反映されています。 それを表に出すまいと無理を重ねるから負のエネルギーを内に向けることになり、体調を崩したり1人になると激しく落ち込んだりしています。
セミナーを初めて受講してからこの1ヶ月間、「何故自分だけこんな思いをしなくてはならないのだろう」という思いに捕らわれていましたが、私の周りはこの問題で溢れ返っていて、誰もこの問題に気付いないだけだったのです。 たまたま私が「真我開発講座」に参加した事で問題がはっきりと見え、自分の「魂」がずっと苦しみ続けていた事にも気が付いただけだったのです。 恐らく彼女達も自分の魂が激しく悶え苦しんでいるとは思ってもいないはずですが、そのカルマが現実の人間関係など投影された「カルマの影」との葛藤に苦しんでいるのです。 つまり気付くのが早いか遅いか、又はずっと気付かないかの違いだけだったのです。 Y.S.先生が似たようなカルマを持った人達は互いに引き合って近づくと仰った言葉の意味がやっと分かりました。 
自分と母の間だけでもどうにもならないほど辛いのに、親しくしている女性の大部分が私と似たような問題を抱えていると考えると、絶望的な気がしてきました。 何て残酷な人生なのだろうと自分の運命を呪いました。 そしてもう、喧嘩したとか過去に何があったかとかどうでも良くなってきました。 こんな苦しみを抱えていながらも皆必死に頑張っている、そう考えると悲しいやらいとおしいやらで頭の中がぐちゃぐちゃになってきました。 でももし、自分がこの場所から抜け出せたなら、彼女たちも抜け出せる可能性があるかも知れない。  そんな事をあれやこれやと考え始めたとき、セミナー会場のホテルに到着しました。