2012年7月25日水曜日

毒吹きコブラ 1 (タイの日常生活)

 6月15~17日は「小さなお寺」で月例瞑想指導会がありました。 この3日間、参加者は原則として「八戒」を守ります。  在家信者は普段は「五戒」を守った生活をするので「三戒」増える訳ですが、事実上は午後の食事を摂らないだけです。 


写真を撮られるのが大嫌いな「ケーオ」が、
この日は珍しくカメラを向けても笑顔でした。






 最終日の3日目に僧侶を招く際の中心的な喜捨物である「果物」は、いつも信者からの寄進物を主に、不足分を市場で買い足して来ますが、この時丁度、境内にたわわに実ったランブータンとローンコーンがあったので、2日目の午後は皆でその収穫をしようという事になりました。 ちょっと変わった「研鑽」ですが、心のこもった「喜捨物」だと思います。 樹上で完熟した果実ですし農薬は使っていないので、食べたい人は好きなだけ食べられるようにとわざわざ「八戒」を「五戒」に改めました。  私は前日の休憩時間に摘み食いしましたが、とても美味しいランブータンでした。

「瞑想指導会」がある日は知らない人も多数来るので、
苛々している事が多いのに、この日は珍しく上機嫌。




 市場に出回る果物は、各種の肥料を施す時期と量が厳密に決められており、その通りにすれば高品質の果実が実るそうです。 「小さなお寺」でもその肥料を用意しているのですが、行事に追われたり人手が足りない時には後回しになってしまい、近所の果樹園農家の人達が気を遣って手伝ってくれたりしていますが、結構杜撰な管理です。 まあ、本業ではないのですから仕方ありません。 ですから「糖度」は市販のものより低いかも知れません。 それでも完熟したもぎたての果実の美味しさは、市場で購入する高級品にもない豊潤なものです。


 数本あるランブータンの樹下には熟して自然に落ちた実が 一面に広がっています。 「枝切鋏に似た『果実収穫器』は先端が鋏ではなく『三枚刃鋏み』になっていて、小枝を掴んだら軽く捻ると、房ごとランブータンを摘み取る事が出来ます。 それを籠で受けながら、間を見計らっては手の届く高さに成っている実を口に放り込みます。  大半の人は、私と同様に始めての経験だったので皆、結構はしゃいでいます。

手が届く高さのランブータンはそのまま摘み取ります。



私はふと周りを見回して、「ケーオ」がいない事に気付きました。  この「小さなお寺」の関係者が林の中に入ると、呼んだ訳でもないのにいつも必ずそばにいました。  たまに蛇や蠍等の危険な動物を見つけると追い払ったりしてくれるので案外頼りになります。  隣家の土地を購入したばかりの頃、メーチーが林の中に入った時には大蛇を見つけたて追い払ったり、お腹に60以上の卵を抱えたコブラを見つけて、チャオクワイと共同で噛み殺した事もあります。  小さな蛇などは手慣れたもので、前足でペタンと踏み付けて息の根を止めてしまいます。



突然、弱気な泣き声で目が開かないとN.N.さんに訴える「ケーオ」




 そう言えば最近、以前より昼寝している時間が長くなっているようで、いくら呼んでも姿を現さないし、どこを探しても見つからない事が多くなってきました。  昨年末に「小さなお寺」が裏にある敷地を購入してからは、見廻る「縄張り」が倍近くに広がり、走り回る時間も量も増えたので、7~8歳の「ケーオ」には少しきついのかもしれません。


怖がりながら 眼の周りを拭いてもらっているところ


 暫くの間、ランブータンを摘んでいると、どこからやって来たのか「ケーオ」が首をうなだれながら世話係のN.N.さんの所に向って行くのが見えました。 いつもの覇気がないので気になって見ていると、
「どうしたの?、何したの?」
とN.N.さんの声が聞こえました。 近付いて見ると目の周りを濡れた布で拭いています。 更に近づくと拭った直後の鼻と右目の間に小さな赤い点が2つ見えたような気がしたのですが、次の瞬間には拭き取られて見えなくなりました。
「コブラ?」
嫌な胸騒ぎに襲われました。 勝気なケーオに似つかわしくない「クーン、クーン」という弱々しく小さな泣き声が聞こえました。 顔を拭き終わった後も目をつぶったままで、トボトボと食堂に向って歩いてゆきました。 真っ直ぐに歩いていますし、前を歩いていた人を避け、横をすり抜けて行ったのですから、目は見えている筈で、足取りもしっかりしていました。

「目にゴミでも入ったか蜂にまぶたでも刺されたのかも知れないな」
と思い、作業を続けようとしましたが、さっきの嫌な胸騒ぎが治まりません。 我慢出来ずに籠を放り投げて「ケーオ」の後を追いました。



私には一瞬、蛇が咬んだような2つの赤い点がみえました。


  「ケーオ」は厨房とその先にあるトイレの間の細い通路で体を丸めて休んでいましたが、私の声を聞くとこちらに向って歩いてきました。 両目を閉じ、向きや足元を確認するために時折開く左眼は白内障のように白濁していました。
「うわっ、これはマズイ!」
症状を確認しよう私が顔を近づけると、「ケーオ」は顔を背けて症状を見せようとしません。それでも構わずに覗き込むと、嫌がって女子トイレの中に逃げ込んでしまいました。 綺麗な総タイル張りのこのトイレの洗面台の下は、三方がタイルになって冷んやりと涼しいからでしょうか、「ケーオ」のお気に入りの休憩場所です。 誰にも邪魔されずにゆっくりと休みたい時は大抵ここにいます。 目の症状を確認しようと近付いて覗き込むと、立ち上がって又どこか他の場所へ行こうとするので、抑え付ける仕草を取りながら少し距離を取り、その場から動かないようにさせて暫くの間、様子をみました。  両まぶたともに腫れていますが、右の腫れが大きいようです。  それ程気温が高いとも思えないのに、かなり激しく舌を出して荒い呼吸を続けています。 暫く眺めていると冷たいタイルを舐め始めました。 炎症で身体が熱を持ち始めたのかも知れません。

木に登って摘み取る人もいました。



 「ケーオ」の様子が少し落ち着いてきたので、腫れているまぶたを観察しようと顔を近づけたら、舌を向けて舐める素振りをしてきます。 こんな時でも愛情表現をしてくるのか、こんな時だから甘えてくるのか、それは分かりませんが、兎に角何とかしてあげないといけません。
先ず応急処置として目を洗わないといけないはずですが、一人がしっかりと掴まえてもう1人が水を掛け洗わないと、嫌がって逃げてしまいます。 今日、ここにいるメンバーで、「ケーオ」を押さえられる人は多分、N.N.さんくらいです。 直ぐに戻って症状を説明しましたが、こんな時タイ人はとても楽天的です。
「多分、何とかなるから大丈夫よ。」
すると近所の人が、
「うちの犬もこの間、毒吹きコブラにやられたけれども、聖水で目を洗って1週間もしたら治ったわよ。」

枝は以外と柔軟性があるので、
手に届く枝は力一杯引っ張って摘み取ります。



ここのメーチーの「聖水」で長年苦しんだ症状が改善した人は沢山います。 私が鬱を始めとする様々な精神疾患特有の症状に悩まされたとき、最も効果があったのも、ここのメーチーから頂いた「聖水」でした。 メーチーに御堂に置いてある「聖水」を使う許可をもらい、「蜜蝋」も分けてもらいました。 タイのお寺には大抵置いてある「蜜蝋」は、蜂の巣を始め様々な植物を混ぜて作るようですが材料や製法はそれぞれ異なり、効能も大きく異なります。 ここの「蜜蝋」はある有名な高僧も「とてもものがよい」と気に入ったほど質の良いものです。 一説によれば、この高僧が住職を務めるお寺はタイで最も「金持ち」なお寺だそうで、タイ全国から最高級の喜捨物物が集まってきて管理しきれないので「博物館」を作ったほどです。 ちょっとやそっとの物を気に入ったりはしません。

高い所は「果実収穫器」を使います。


 「聖水」と「蜜蝋」を持って「ケーオ」が休んでいるトイレに戻りましたが、もし抵抗すれば目を洗う事は難しいので、どうすれば片手で押さえ付け、もう片方の手で目を洗えるか考えてしまいました。 誰に頼んでも、
「私じゃあ、『ケーオ』を抑え付けようとたら、噛み付かれちゃう。」
と尻込みしてしまい、手伝ってくれないのです。